建物の完成がゴールではない

前回の記事で、忽然と消えてしまったと書いた投稿。
今、ブログの管理画面を開いたら、なぜかしれっと下書き投稿として戻ってきてました。笑
機を逸したのでどうしようか迷ったけど、せっかく書いた記事なのでアップしておきます。
最後に動画を貼り付けるのは諦めたので、ちょっと尻切れとんぼな記事なってしまいますが、
よろしければお読みください。

*
K様邸。

竣工は2010年だったので、もうかれこれ12年のお付き合いになります。
竣工後も何度かに渡り、子供室の改装など、
家族の成長や変化に合わせた改修工事をしてきたというのもありますが、
仕事という枠を超えてよいお付き合いを続けさせて頂いているお施主様の一人です。

先週末は、そのK家の長男シン君のピアノの発表会に行ってきました。
彼の為だけにホールを借り切って、シン君が4曲を披露する、
小さなコンサートのような発表会です。

 

建築当時のシン君は中学生。
知的障害を伴う自閉症である彼が、ちょうど思春期に差し掛かり、
いろんな行動障害がみられるようになった時期でした。
言葉で表現することができないまま抱えている彼のストレスを吸収できる家にするために、
また、一緒に暮らす兄弟たちとの関係性にも配慮をしながら、
ご両親と一緒にいろんなことを考え、策を練り、検討をしていたあの頃。
その後も成長に伴い、当時は予測もできなかった変化もたくさん起こり、
その都度ご相談をいただいて、家という箱の中で出来得る対策を取ってきました。

新築の設計時、
『まだ他に、設計者として考えておくべき事、やっておける事はないだろうか?』と、
知的障害者の就労施設とグループホームを備えた福祉農園を運営している友人に相談をした時、
「彼らはね、やっぱりお母さんの事が一番大切なの。
 お母さんが幸せそうにしてるのが一番うれしいんだよね。
 だから、シン君のためにやっておくべき事はご両親と一緒に考えれば十分で、
 綾子は、お母さんが幸せに暮らせる家を作ってあげれば大丈夫だよ」
というアドバイスをくれました。
もちろんこれが唯一無二の答えではないし、
当事者にとってはそんな単純な話ではないのは十分分かっているのですが、
この時の友人の言葉が、この12年間、ずっと私の下支えになってる気がするのです。
それは、Kさんご家族と接するときに限った話ではなく、家を作るという行為の中で。

*

今もなお、シン君のご両親は多くの不安や苦労を抱えながら暮らしておられます。
とても前向きに。とても誠実に。
学校を卒業し、社会との距離が近くなることで、
シン君が感じるストレスも、生じる出来事の規模も大きくなっていくのだと思います。
奥さんが、どんな話も悲壮感など微塵も見せずに明るく話してくれるので、
おそらく私も、実際に起きてることの数パーセントも理解できていないと思います。
それでも、ほんのほんの少しだけど、シン君やご家族が辿ってきた道のりを知っているので、
ステージでピアノを弾くシン君の姿を見ると、ジーンとしてしまうのです。

*

あまり大げさに考えないようにしているけれど、
考えるとその責任の重さに苦しくなってしまうのだけれど、
やはり、その家族の人生に関わる仕事をしているのだいう自覚は持ち続けていたいものです。

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