正義とか、救いとか。

篠田節子さんの小説。『弥勒』

初めて読んだのは、もう20年以上前だったと思います。
電車で外出するのに本を持って出るのを忘れて、
駅の売店にたまたま並んでいて、なんの予備知識もなく購入したのですが、
読み始めたら完全に没入してしまい、むさぼるように一気に読み進めました。
あとがきにも書いてあるけれど、本当に全くカタルシスのない話で、
読了後、くったくたに疲れて放心したのをよく覚えています。

その後も幾度となく読み返し、でも、引越しの時だったかな、本の整理をした時に、
持ち続けることも重たくなって、一度手放したのですが、
数年後にまた読みたくなって、新たに買い直して手元に置き、
その後もやはり、何度も読み返してしまう一冊になりました。
何度読み返しても、読了後はくったくたに疲れます。

*

美しい仏教美術の文化を持つパスキムという架空の国で起きたクーデターの話。
正義とは何なのか、救いは存在するのか、という重いテーマを抱えたまま、
決してフィクションとは言えない人間の残酷さを突き付けられながら物語は進み、
最後までその答えは見つけられずに終わるのです。

海の向こうのあちらこちらで起きている悲しいニュースに触れるたびに、
この物語の中の様々な場面が思い出されます。
今、この本はたまたま友人に貸していて手元にないので、読み返すことはできないのですが、
むしろ、今は読み返せない状況で良かったかもとも思います。

*

このブログには、政治と宗教と時事ネタについては書かないと決めているのに、
この本を紹介するというのはその全てに抵触する事になるので、少し迷いました。
迷いながら記事にしているので、読書レビューにすらなっていないし、
読むことを安易にお勧めする気にもならないので、本の紹介にもなり得ないでしょう。
それなら、なぜ書くのか。
多分、自分の中のもやもやとした気持ちを消化するために書きたくなったのだと思います。

正義ってなんなんだろう。
ずいぶん前にこのブログにも書いた記憶があるのですが、
やなせたかしさんがおっしゃっていた
『バイキンマンにはバイキンマンの正義があるから、
 アンパンマンはバイキンマンをやっつけないのです』
という言葉が、私が正義を考えるときの根幹にあるような気がします。
他人を傷つけずに、みんなそれぞれが自分の正義を守るというのは、
どうしてこんなに難しいのでしょうね。

平和を願うという言葉が、心の中でむなしく空を切ります。

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