でんぐり返し

パンダが延々とでんぐり返しを続けている動画が友達から送られてきた。
それを眺めていたら、なんだか無性にパンダが羨ましくなっちゃって、
生まれ変わったらパンダになって、ずっとでんぐり返しをしていたいなぁ…なんて気持ちになって、
そしたら急にでんぐり返しをしてみたくなっちゃって、
いったい何(十)年ぶりなんだろう… ベッドの上ででんぐり返しをしてみました。

してみました、と軽やかに書いたけど、実際は、怖くてなかなか回れなかったのです。
こんなに怖くて勇気のいることだったっけ?と驚いて、
回っているところに猫が滑り込んできて潰しちゃったらどうしようという不安も相まって、
しばらく両手をついたまま固まっていたのですが、
覚悟を決めて、エイヤ!と思い切って回ってみたら、これがとんでもなく快感!
その後、何度も繰り返して、目も回っちゃったけど、
回るたびに何かが振り落とされていくような不思議な感覚になりました。
何かに煮詰まったり不安を感じてる人は、騙されたと思ってやってみて!
と、声を大にして言いたいですね。
もう怖くて出来ないと諦めていたけれど、次は倒立にもチャレンジしたくなります。

視座を変える。
視野を広げる。

こういうのって、どうしても心の問題として捉えがちだけど、
もっともっと身体的な問題なのかもしれない。
半月ほど前に友人達との食事の席で身体性の話になって、
その話がおもしろかったと、日記(1/365)にも書いたんだけど、
その時にはまだ理解しきれていなかったことが、でんぐり返しをしたら降りてきたぞ。

毎日何かしらを書き、発信しているからと言って、すべてを書ける訳でもなく、
当たり障りのない事だけを毎日書き続けることに疑問も感じ始めていました。
毎日書くのは、誰にも見せない日記だけでいいのかな?という気もしています。

このHPの行く末だけでなく、実は私、本当にこれからの仕事の請け方を悩んでいたのですが、
例えば、一番やりたい事である『暮らしの相談窓口になること』の難しさを痛感したり、
それ以外にも、いろいろと、変えていかなきゃいけないことにぶち当たっていたりして、
きっと、年齢的にも世の中的にもそういうタイミングなのでしょうけれど、
なかなか悩みのスパイラルから抜け出せずにいたのです。
が、でんぐり返しの遠心力で、なんだかホントに吹っ切れた気がしているナウ。笑

さてと、仕事に戻りましょう! ガシガシ進めましょう!

まだ分からないけれど、『1/365』を再び『Blog』に吸収させるかもです。

ツルっとは生きられないらしい

異業ではあるけれど、一人親方の自営業仲間である若い友達が、
ちょっとした不動産トラブルに巻き込まれ、
いや、トラブルに巻き込まれ…というほど大げさな話ではないんだけど、
暮らしていたマンションがオーナーチェンジをした途端に、
解体する事になったから立ち退いてほしいという通達が届き、
こういう時はどうしたらいいのか…と相談を受けたので、
昨日、知人の不動産屋さんを紹介して、一緒に話を聞いてきました。
その問題は、順序だてて交渉していけば不利益を被ることなく解決する見通しがつき一安心。

予期せぬタイミングでの引越しが強要され、
忙しい中、家探しから始めなければいけないのは大変だけど、
これはきっと、来るべきタイミングで来た転機のきっかけなんだろうな、と彼女は言っていました。
私もそう思います。

そんな話の流れから、お互いの今の仕事の状況や、考えているこれからの展望について話すうち、
20年近く前に読んで以来、何度も何度も読み返してきた、
山田ズーニーさんの『独立感覚~independent sense』というコラムが、
今の彼女に気持ちにぴたりと嵌りそうな気がして、紹介してあげると同時に、
自分でも久しぶりに読み返してみました。

独立感覚とは何か?
ズーニーさんは『自分に関する信頼感』ではないかと言います。
でもそれは、自信満々に迷わず目標に向かって突き進む事とは真逆で、
いつも迷い、揺れ動いている感覚の事なんじゃないかと続きます。  

そして、最後はこう締めくくられて終わります。

 

成功に効率よくたどりつくマニュアルが、
こんなに親切に出回っているいま、
自分の感覚を信じるなんて、
並大抵ではありません。

信じてみたところで、
自分の感覚なんてとても小さい。
自分の感覚でやることだから、
プレッシャーもやたらきつく、
失敗の痛さもどでかい。

だから、
自分の感覚を疑い続けるのもあたり前で、
悩み続けるのもあたりまえで。
それは一見、くよくよと見える。

それでも自分の感覚を売り渡さず、
自分の感覚で最後まで、
遠く、時間のかかるゴールを
目指そうとする人だけが、
独立感覚に優れた人なのではないか、
私は、そう思うのです。

山田ズーニー おとなの小論文教室『独立感覚-Independent sense』 より引用 

.

いつもいつも『これでいいのかな?』と迷ってばかりいたあの頃。いや、今もだな。笑
迷ってばかりで自信もないけれど、
自分が大切にしたいものは変わらないし手放せないまま、常に揺れ動いている私は、
35歳の時にこのコラムと出会っていなかったら、
おそらく今、ちょっと違う人生になっていたんじゃないかなと思います。
そのくらい、私に力をくれた文章でした。

25周年を迎える前日に、このコラムを読み返すきっかけが与えられたのも、
きっと意味があるのだろうな。

おかげさまで、本日、サブリエ(旧アトリエ朋)は25周年を迎えることができました。
本当はこの節目のタイミングで、少し体制を変えようかと考えていたのですが、
相変わらず、自分の感覚に自信を持てずに迷い続けたまま、
何も結果を出せずに今日を迎えてしまいました。笑

きっとこれからも、ずっと変わらず、悩んだり迷ったりして進んでいくのでしょうが、
それでも、この25年間の中でひとつだけ胸を張れることがあるとするならば、
『考えることをあきらめなかったこと。簡単に答えを出そうとしなかったこと』
だと思うのです。
傍から見ているとイライラさせることもあるかもしれませんが、笑
私はこれからも、この独立感覚を磨いていきたいと思っています。

25年という数字に私自身が驚いてはいますが、ただの通過点という意識の方が強いかな。
どんな事を考えながら、どんな仕事をして、どんな風に生きていくかは、
おそらく今後もこの場所を使ってダダ漏らせていきますので、
どうぞこれからもよろしくお付き合いくださいませ。

最後になりましたが、
今日まで出会ってくれたすべての方たちに、心より感謝申し上げます。
こうして続けてこれたのはあなたのおかげです。とみんなに言って歩きたい。
本当にそう思っています。

多摩湖サンセット

個人アカウントのインスタにも載せ、1/365にも載せた、今日の多摩湖散歩の写真。
もうどんだけ多摩湖が好きやねん?!という感じですが、このくらい好きなのです。笑

1/365は1枚しか載せられないし、アーカイブを見に行くのがとてつもなく面倒くさいので、
(自分でそういう設定にしんだけど 笑)こちらにも残させてください。

引っ越す予定があるわけじゃないのに、ここに来るたびに、
「やっぱり引っ越すことはできないな」と思ってしまいます。笑

Let’s enjoy empty house!

国内の空き家の数が、過去最高の900万戸になったと、
なぜかニュース速報となって配信されてきました。

これは全戸数の13.8%に当たるそうで、と言うことは、全戸数は凡そ6500万戸。
今、日本の世帯数は5500万世帯に満たないはずなので、
その差の1000万戸は、住所を実家においたままの一人暮らしとかなのかな?
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ニュース速報にするほど緊迫したニュースではないと思うけど、本当に由々しき問題。
もう何年も前から『空家問題』が叫ばれていて、どんどん深刻さを増してるはずなのに、
ここ最近のマンション建設ラッシュはなんなのさ?笑
乱立といっていいくらい、あちらこちらで新築マンションが建設されていて、
クレーンを見上げながら、この戸数分また空家がでるのね…と、ため息をついています。

この課題に取り組もうとしている人達もたくさんいるのに、
いつまでたっても根本的に解決しない問題。
『問題』にしちゃってるからダメなのかな。
眉間に皺を寄せてても楽しいアイデアは生まれないから。
なので、Let’s enjoy empty house!です。笑
『Empty House』と呼ぶだけでなんだかウキウキしてくるから不思議。

でっかいプロジェクト的な事は、一設計者には手に負えないけれど、
なんかちょっと愉しいことを提案できるようにはなりたいな…と思っています。
空家に向き合う時には「難しい」は禁句にしよう。
もう、由々しき問題なんて二度と言わない。笑

すごいな…。
ブログを書いている間に気持ちに変化が起こるんですよ。
書き出した時、この結びは想像してなかった。笑

モノクロームな春

現場近くの桜並木はまだ七分咲くらいかな。


週間予報を見ると、青空の下で満開の桜が見れるかどうかは微妙。
今年はお花見の予定も立てづらいけれど、
たまたま行った場所でたまたま見られた桜を愉しむのが良さそうですね。
.
今日は二十四節気の清明。
漢詩に詳しいわけではないけれど、杜牧の『清明』という詩がとても好き。
今年は例年以上に、肌感覚でこの詩の世界観や情景を想像できるんですよね。
気温とか湿度とか空の色とか、こんな感じなんじゃないかな…と。
なので、ここに書き写してみたくなりました。

 

清明の時節 雨紛紛

路上の行人 魂を断たんと欲す

借問す酒家は 何れの処にか在る

牧童遥かに指さす 杏花の村

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漢詩なのだから日本語の美しさとは違うのだけど、
静かで清々しくて人間らしくて、しみじみといいんですよねぇ…。
興味のある方は、ネットで探して、
自分の感覚にぴたっとはまる訳詩や解説を読んでみてください。

2月も終わり。明日から春。

夏、秋、冬、それぞれの季節の始まり月が何月なのかは割と曖昧なんだけど、
春だけははっきりと『3月から』と言い切れます。
どんなに寒くても、3月の季節は『春』なのです。2月の末までは『真冬』なのに…。
それなら『晩冬』というのはどの時期の事を言うのだろうか?と調べてみたら、
1月5日~2月3日なのだそう。
むしろそこからが冬本番のイメージですけどね。笑
で、季節のあいさつで『初春の候』と書けるのも1月初旬から2月初旬。
うーーん。難しい。笑

ちなみに、
晩春が4月4日~5月4日 
初夏が5月が下旬~6月上旬
晩夏が8月7日~8月20日
初秋が8月中旬~9月上旬
晩秋が10月7日~11月7日
初冬が11月7日~12月6日
なんですって。

他の季節は、多少は感覚とのずれはあるにせよ、うまく季節が流れているのに、
冬から春は毎年リレーのバトンがうまく渡せてないのは、
やはり、新暦と旧暦の狭間で春がごにょごにょしてるからなんだろうな。笑

それでも、暦とか体感とかは関係なく、
3月の『3』という数字が妙に強制力があって、有無を言わさず春に連れていかれます。

ということで、明日から春なのです。
お花見の約束もちらほらと入ってきて、俄然楽しみになってまいりました!
でも、春の訪れって、その響きとは裏腹にとても自己顕示的なんですよね。
明日からまた強風の日が続くようです。
暴走族のように花粉を引き連れて『春 参上!』です。笑
体調を崩しやすい季節にもなるので、どうぞみなさまご自愛ください。

素直につくればいい

節分。

2021年にスケルトンリフォームをしたKさんの家へ、2年ぶりに訪問。
引渡しの時にWorks(Instagram)に載せたKさんの家の様子はこちら

この投稿の最後の動画にある、渾身の折り畳みちょい置き棚。
作ってはみたものの、いちいち折り畳むのも面倒くさいだろうし、
そんなに活用してもらえてないかもなぁ…、
まぁでも、たまに使って重宝してくれてたらいいな…
くらい期待値を下げて(傷つかない為の保身・笑)、
どうですか?役に立ってます?と聞いてみたら、
なんのなんの!毎日フル活用してくれてるとの事♡
奥さんが実演でこの棚を広げてくれたのですが、片手と片足であっという間に組立て。
これは2年間に及ぶ毎日の修練なしには成しえない、惚れ惚れするほど軽やかな動きです。笑

限られた面積、難問だった構造上の課題などに素直に対峙してつくった家ですが、
その結果、奇を衒ったわけではない小さな仕掛けが、生き生きと存在してくれています。
そう、この家は本当に素直な家なのだと思います。
素直につくったら、いろんな事がちょうどよくなってくれた家。

玄関脇に設えた、多趣味なご主人の為のストックヤードもとてもいい感じ。
私は総じて、家の中にご主人の気配をしっかりと感じられる家が好きなんだな。
「俺の〇〇」シリーズ。笑 もっと雑多にタフに使ってもらってもいいくらいです。

左手前に映っている鮭の人形がいい仕事をしていますね。かわいい。

打合せの時のご夫婦の会話を、今でもよく覚えていて、
(このご夫婦の関係性が私は大好きなのです)
しみじみと、楽しかったあの夏の工事を思い出しました。

今日は、ご主人のお友達(中1からのほぼ50年来のお友達!)ご夫婦も遊びにいらしていて、
いろんな話を聞かせてもらいましたが、こちらもまた気持ちのいいご夫婦で。類友ですね。

家は3回建てれば…的な話をよく耳にしますが、多分それは回数の問題ではなくて、
人生の一仕事を終え、たくさんの取捨選択を経てあらゆる意味で余分なものが削ぎ落され、
大切なものがはっきりと分かってきて、しかもまだまだ元気な60歳くらいで、
今の自分たちに過不足のない暮らしを求めた時に、
やっと本当に満足のいく家づくりができるという事なんじゃないかな?

60歳から住まいづくりは、『シンプル』より『素直』がとても大事なキーワードな気がします。
うん、なんか、書きながら思いついたことだけど、とてもそう思います。

昨日の続き(興味がある方だけどうぞ)

今朝の7時3分。

 

昨日の謎、解けましたよ。
とても分かりやすく説明してくれてるサイトを見つけました。
分かりやすくまとめてはあるけれど、すごいボリュームで、分かりやすくても難しくて、
学生時代から地学が苦手だった私には、全く要約できそうもありません。笑

『均時差』というものがあるのだそう。
日時計の示す時刻(視太陽時)と時計の示す時刻(平均太陽時)には、
時期によって決まった値でズレがあり、このズレの大きさを均時差と呼ぶそうです。
そのズレの値がなかなか驚きの数字で、

2月12日に-14.2分
5月15日に+ 3.7分
7月27日に- 6.5分
11月4日に+16.4分

均時差がほぼ0になるのが、
4月16日頃、6月14日頃、9月3日頃、そして冬至の12月22日頃。
(こちらはグラフから読み取ってるので「頃」にしておきます)

テキストだけだとイメージしづらいでしょうが、
1年の間に2つずつの山と谷を持つ波線グラフで値が変化していました。
こんなにズレているなんて想像もしなかったわ…。
そのサイトには、さらに、地軸や軌道の楕円と絡めた解説もありますが、割愛。笑

設計をしていると「日影図」という図面を書くことがあり、
その建物が近隣にどのくらいの影を落とすかを、その図面で検証します。
建設地の緯度経度により、各時間の時角が決められているので、
同時刻で角度が変わるなんて思いもしなかったのです。
でもそうなると、日影図の精度も怪しくなるじゃないか…と一瞬思ったけれど、
日影図は冬至の太陽高度を使って作成するから、つまり均時差が0の日だからOKなのね。
なるほどねぇ…、なるほどなぁ…、の連続。

今まで知らなかったことを知った時、こんなコトは実は常識でみんな知っていて、
知らなかったのは私だけなんじゃないか?と不安になるものです。
知らなかった人がいたとして、その人たちは全く興味がない話かもしれないので、
一体何のために私はこの記事をこんなに頑張って書いているのだろう…と可笑しくもありますが、
これはもう完全に自分の為の備忘録です。お付き合いありがとうございます。

ここで復習。あらためて昨日載せた4枚の写真を見てみましょう。
グラフから読み取るに、11月24日の均時差は約+15分で、昨日1月23日は約-12分。
合わせると27分ものズレがあるのだと分かると、また、「なるほどねぇ…」と唸ります。
明日からまた、太陽の観察が愉しくなりそうです。

このズレの値が、時期によって決まっていて、毎年変わらないというのもすごい。
地球とか、宇宙とか、もう何もかもが奇跡だな。

さて。
すっかり、設計事務所のHPじゃなくなってきていますね。笑
インスタも全然更新してなくて…。
なんで私は仕事の事を書きたがらないのだろう?笑

今日は基礎の配筋検査に行った後、リフォームの打合せもありました。
上記の均時差のサイトは、移動の電車の中で見つけて読みました。
誰かに怒られる訳でもないけれど、
決してさぼっているのではないと、たまには言い訳をしておこう。笑

知りたいことに辿り着けない

冬至から1ヶ月経ち、日が長くなってきた印象はあるけど、夜明けはまだまだ遅い。
今朝7時の東の空。(正確には7:04)

秋から冬にかけては、朝の7時前後にベランダから朝日の写真を撮ってるのだけど、むむむ…
今日の7時の太陽方位角がいつもとずれてるような気がするのです。
↑元旦 6:59
.
↑冬至 7:00
.
↑11月24日 6:50
.
見比べてみると明らかに違うでしょ?。
7時にこの木の後ろに太陽があるはずないのに…と気になってしまい、
いつものようにネットで調べてみるも、断念。謎が解ける前に断念。笑
似たようなタイトル記事がズラーッと出てきて、
おまけに関連検索キーワードみたいなものもたっくさん出てきて、
ひとつの記事に全く集中出来ず。
ここでは答えが見つからなそうだな、
知りたいことはそこじゃないのよ、
こっちの方が分かりやすく書いてるかな?
このキーワードで探せばいいのかな?
と、どれも熟読もしないで、次々と記事を拾いにいってしまうのです。
記事のひとつひとつが「オラオラ!こっちだよ!」と圧を掛けてくる感じ。伝わるかな?笑
で、どの記事を読むかを選ぶことに疲れてしまって、そっと画面を閉じたわけです。
子供の頃、だいたいどの家庭にも一揃いあった分厚い百科事典を開いて、
丁寧に調べるしか手段がなかった頃の方が、知りたい事を知る早道だった気もしなくもない。
すぐに調べて、すぐに分かって、すぐに忘れる。
これ、本当になんとかしないといけないよなー。
便利になった世の中のせいではなく、自分の問題として。

最近は、調べたことだけでなく、例えば漢字の読み方や雑学みたい小さなものでも、
知識として得たものはなるべく手帳に書き移して定着させるようにはしています。
そのくらい、割と切羽詰まった感覚で、このままじゃまずいぞと思っているのでしょう。

で、結局、太陽の方位角については謎のまま。笑
小さなベランダなので、定点のずれとは考えにくいけれど、
明日の朝、もう一度確認してみます。

何かご存じの方がいらっしゃれば、ご一報くださいませ!笑

つれづれ ver.2024

もう7年くらいテレビのない生活をしているので、
地震関連の報道は、自らインターネットで拾いに行かない限り目にすることはありません。
今はあえてそれらの報道から距離を置こうとしているのですが、
今朝、SNSに、山崎パンの被災地支援のニュースが流れてきて、
読みながら、13年前の事を思い出していました。

東北の震災直後、物流が止まり、東京でも食糧難が発生していた時、
いち早くお店に商品が並んだのが山崎パンのコッペパンシリーズでした。
その時の記事がこちら。

つれづれ – サブリエ (sablier.jp)

たまたま2か月くらい前にも、友達とパンの話をしていた時に、
その商品を積極的に食べるかどうかは別にして、私は山崎パンという会社が好きなんだよね、
と話したばかりでした。
今回に限らず、日本各地で災害が起きるたびに迅速に支援や回復に動く姿勢には、
素直に感謝や敬意を抱いてしまうし、小さな勇気を日本中に与えてくれてる気さえするのです。
こうやって大きく報道で取り上げられないところでも、
たくさんの人が自分のできる事をやっていているのだろうなと想像できるから。

もう一度書こう。
ありがとう、ヤマザキパン。

久しぶりにアーカイブから13年前の投稿を拾い出して読んでみたけど、
あの時の心情は今でもくっきりと輪郭を帯びて記憶に残っていました。
当時は本当に、自分の暮らし自体が非日常になってしまっていたし、
その頃は家にもテレビがあったので、様々な報道に翻弄されて思考停止にもなっていたな。
それでも、考えている事は今と変わっていなかったりして、それに少し安心もして、
あの未曽有の出来事を経験した時の自分の気持ちが、記録に残っていて良かったと思います。

ついでにもうひとつ。
これを書くのは少し勇気がいるんだけど。
かの国の主席が日本にお見舞いを伝えたというニュースを昨日読んで、
まずはすごく驚いたけど、素直に、本当に嬉しくなってしまいました。
そんなに単純な話じゃないことは百も千も承知しているけれど、
優しい世界になって欲しい、こうやって少しずつ世界が平和になっていってくれたらいいのにと、
小さな小さな希望の光を見たような気がしたので、これも記録しておこうと思います。

松の内が明けますね。
しっかりと気持ちを整えて、明日から仕事も本格始動です。
今年も頑張ります!

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