月別: 2022年3月

別れ

先月、ある方のご主人が亡くなり、
四十九日を前にお別れのおまいりに行ってきました。
『ある方』という表現は変なのですが、
知人とも友人とも少し違う、
お世話になってる方と書くのも懇意にしている方と書くのも何か違う。
自分にとってのその方の存在にぴったりとあてはまる言葉が見つからないのです。
そのご夫婦が、言葉をとても大切にしている方達なので、
適当な言葉で表現することができずにいます。

そんな大切な存在であるご夫婦のご主人とのお別れです。

到着時間の伝え方が悪く、着いた時に奥様が不在で、
10分ほど、お庭で待たせていただきました。
庭いじりが大好きだったというご主人の事を思いながら、
最後の一花となった白木蓮を眺め、写真を撮りました。
なぜか、撮らずにいられなかったのです。

*

スターダストレビューの『木蘭の涙』という歌。
私自身も大切な人との死別を経験しているので、
要さんのその歌声を聴くたびに、胸に迫るものがあるのですが、
奥さんも、これから毎年木蓮が咲くたびに、この悲しい別れを思い出すのだろうな。
先に逝く人との想い出というのは、どうしてこれほどまでに、
生活のあちらこちらに、くっきりとした輪郭を持って散りばめられてしまうのだろう…
と、少し切ない気持ちにもなるけれど、きっとそれは幸せなことでもあるのでしょう。

*

そんなことを考えながら奥さんのお帰りを待ち、ご主人のご霊前にお参りに行くと、
遺影の隣に、満開の白木蓮の写真が飾られていたのです。
あぁ…やっぱりお好きだったのだな。
最後の花が落ちる前に、会いに行けて良かった。

なんでも大仰な意味付けをするのはあまり好きではないのだけれど、
故人の声を聴いているとしか思えない出来事は、ままあるようです。

*

私がいつもお花を注文しているお花屋さんに、
ご主人のお人柄やお仕事での功績など、人物像だけを伝えて、
お任せで作っていただいた仏花。
お悔やみではあるけれど、庭に咲く野花のようなお花をお供えしたいというリクエストに、
今回も、期待以上の素敵なアレンジで応えてくださいました。

喜んでいただけてるといいな。

父の決断にこれからを思う

今年84歳になる父から、
車の廃車手続きを済ませ、免許を返納する事にしたとメールがありました。
年齢的には当然の決断なのですが、よく決心したなと思います。

もうほとんど乗らないからという理由で、3年前に自分の車を手放してしまった事が、
今更ながらに悔やまれます。
両親が老いて、自分が足にならねばならなくなること、
ちっとも現実的に考えられてなかったな…。

おかげさまで、本当におかげさまで、
今は両親ともにすこぶる元気で、足腰もしっかりしていて、
私たち子供に迷惑かけないように頑張るから心配するなといつも言ってくれて、
それにすっかり甘えて、自分の生活に集中させてもらっているけれど、
いつ何が起こってもおかしくないと思って、
生活的にも気持ち的にも、準備をしなければいけないんだよな…と、
あらためて考えさせられる、春の雪降る火曜日です。

*

朝から降り続いていた雨が、1時間ほど前に雪に変わりました。
すぐに雨に戻るかと思いきや、結構な本降りで、うっすら積もってきました。
雪が大好きな我が家の猫は、今日もずっと窓辺で外を眺めて過ごすようです。

 

あちこちポンコツ

急激な寒の戻りが身体に堪えます。
私の基準木としている最寄り駅のソメイヨシノは、昨日、ずいぶんと膨らんでいたのですが、
この寒さで開花はもうしばらくお預けになりそうです。

*

昨夜、床に落ちているものを拾おうとして屈んだ際、
家具の角に思いっきりおでこをぶつけ、たんこぶができました。笑
小学一年生の時、クラスのめぐみちゃんがジャングルジムにおでこをぶつけてたんこぶができ、
「これがたんこぶか…」と子供ながらに感動した時以来の生たんこぶを、
まさか鏡に映る自分の顔の上に見ることになろうとは…。
52才ですよ、私…笑。 本当に恥ずかしい。

おでこをぶつけると、たんこぶって本当にできるんですね。
しかも、徐々に腫れるのではなく、打った瞬間にできるんですよ。
自分の体の事さえ、まだまだ知らない事があるのだな。
何事も、経験してみなければ分からないものです。痛かったけど。

すぐにキンキンに冷やして、夜も冷えピタを貼って寝たので、
今朝はなんとなく小さくなってる気がします。痛みもだいぶひきました。
もう大丈夫。
外出の予定が続くけど、なんとか髪の毛で隠せる位置で良かった。
…とか言いつつ、会う人会う人に自分から見せびらかしてしまいそう。
「恥ずかしいでしょう?」とか言いながら、ドヤ顔で。笑

それにしても『たんこぶ』って名前、秀逸だな。
この突起物の名前はこれ以外ありえない。

3月12日の朝

祈りの日を終えて、また新しい朝がやってきました。
明けの明星は希望の象徴。

11年前の今日の空はどんなだったんだろう?
こんなきれいな夜明けだったとしても、金星が輝いていたとしても、
希望なんて感じられなかっただろうな。

朝起きて、空を見て、希望を胸に抱ける事のありがたさをあらためて思う。
本当に、世界が平和であってほしい。

 

3年に一度、職業倫理をまじめに考える

3年に一度受講しなければいけない、一級建築士の定期講習。
通常は、一日講義を受けて最後に終了考査を受けて終わるのですが、
コロナ禍の為、講義は事前に各自がビデオ講義を受け、
考査のみ会場で受験するシステムとなり、本日受けてまいりました。

私はてっきりいつも通りの講習だと思い込んでいて、
事前に講義を受けなければいけない事、当日は考査のみだという事を知ったのが三日前。笑
いや~、焦りました。
トータルすると6時間近い講義が、スキップや早送りができない仕組みになっていて、
一夜漬けならぬ二夜漬けでしっかり受講しましたよ!
気づくのが当日じゃなくて本当に良かったー。

講義の内容は主に、建築基準法を中心とした関連法規と、最新の建築技術、
建築士の職責や倫理、紛争、そして実務についての4本柱。
この講習会が私は結構好きで、面倒くさいとか言いつつも、
3年ごとにこういう話を聞けるのは、矜持を失わない為にとても大事な気がしています。

特に職責倫理の話は、求められる責任と、現実社会での設計者の立ち位置との乖離に、
毎回「むむむむむ?」と感じてしまうのですが(適正報酬の話もかなりむむむ。笑)、
教科書通りにはいかないまでも、もう少しシャンとしなければと反省するのです。
まずは、講習会の開催内容くらいはきちんと確認してから申し込む人にならねば。笑

受講者は20名くらいでしたが、女性は私一人。
自分の周りには同性の同業者がたくさんいるし、
活躍している女性建築士はゴマンといる印象ですが、
やはりまだまだ男社会なのね…と感じます。
オジサン化が止まらないオバサン建築士、背筋を伸ばしなおして奮闘を続けます!

そう、この感じ。

木造2階建ての基礎の設計で、どうしても気になることがあり、構造設計事務所さんに相談。
やはり違和感を感じた部分には少し無理な力がかかっていて、
それを解決する方法をアドバイスしてもらう。
より良くするために知恵を出し合って検討する作業がとても好きです。

そのまま進めたからって建物が倒壊するわけでもないんだけど、
図面を見ていて「なんか気持ち悪いよね」と感じる事があるんですよ。
この「なんか気持ち悪い」という感覚。
私が一番大事に、そして信頼している感覚かもしれません。
そう感じた時は、必ずもっといい方法があるわけで、
その方法が見つかると、不思議なくらい気持ちのいい図面になるのです。
いや、言葉遊びではなくてね。
気持ちのいい図面というのがあるのですよ。

今日の相談の最後も「あー、これで気持ちよくなりましたね」で締めくくられました。笑
この感じ、ちょっと久しぶりだったので、とても気分爽快です。

声を出す。声を聴く。

暖かい土曜日です。
この風は春一番のようですね。

昨夜は高校時代の友人と久しぶりに長電話をし、
今日は仕事がらみの相談を受けていた友人の家に行き、
やはり久しぶりにとりとめのない話をしました。

声を出す、自分の声を聴く、相手の声を聴く。
ただそれだけの事で、体の中に酸素が充満するような気持ちよさがあります。

一昨年までは、商店街のような場所の路面にアトリエを構えていたので、
割とひっきりなしに人が訪れてくれていて、
その時はその時で、もう少し集中して図面を描ける環境にしたいぁ…
なんて思っていたのですが、実際それを手に入れると急に人恋しくなる。笑
どこまでもないものねだりの天邪鬼だなーと思います。

整体の先生に「脳が酸欠してるよ」と言われているのです。
内省する時間が多すぎるんですよね。
最適な仕事の環境というのはなかなか見つけられないけれど、
やっぱり、もう少し人と話す時間を増やしたいかなー。

春。
とりあえず、家の中だけでなく、心も体も風穴を開けて風通しよくしていきましょう。

 

ひなまつり

一雨ごとに春に近づきますね。
今日はひな祭り。

ちびまる子ちゃんのひな祭りのお話の中で、まるちゃんが、
『これはお姉ちゃんのお雛様だもん!まるこのお雛様はないもん!』
と拗ねて、お母さんを困らせる場面があったのですが、
このまるちゃんの気持ちがよく分かるんですよね。
ちびまる子ちゃんは『次女あるある物語』なんですよ。
あんなに楽しい漫画なのに、ほろっと泣いてしまう場面が結構あるのです。

そんなわけで、私のお雛様はないので(笑)ひな祭りらしいことは何もしませんが、
春を感じずにはいられない気持ちのいい朝。
家中の窓を全開して空気を入れ替えて、少し気持ちもリフレッシュ。
花粉症じゃなくて良かった…。

いつも通りのなんでもない日を言祝ぎましょう。

建物の完成がゴールではない

前回の記事で、忽然と消えてしまったと書いた投稿。
今、ブログの管理画面を開いたら、なぜかしれっと下書き投稿として戻ってきてました。笑
機を逸したのでどうしようか迷ったけど、せっかく書いた記事なのでアップしておきます。
最後に動画を貼り付けるのは諦めたので、ちょっと尻切れとんぼな記事なってしまいますが、
よろしければお読みください。

*
K様邸。

竣工は2010年だったので、もうかれこれ12年のお付き合いになります。
竣工後も何度かに渡り、子供室の改装など、
家族の成長や変化に合わせた改修工事をしてきたというのもありますが、
仕事という枠を超えてよいお付き合いを続けさせて頂いているお施主様の一人です。

先週末は、そのK家の長男シン君のピアノの発表会に行ってきました。
彼の為だけにホールを借り切って、シン君が4曲を披露する、
小さなコンサートのような発表会です。

 

建築当時のシン君は中学生。
知的障害を伴う自閉症である彼が、ちょうど思春期に差し掛かり、
いろんな行動障害がみられるようになった時期でした。
言葉で表現することができないまま抱えている彼のストレスを吸収できる家にするために、
また、一緒に暮らす兄弟たちとの関係性にも配慮をしながら、
ご両親と一緒にいろんなことを考え、策を練り、検討をしていたあの頃。
その後も成長に伴い、当時は予測もできなかった変化もたくさん起こり、
その都度ご相談をいただいて、家という箱の中で出来得る対策を取ってきました。

新築の設計時、
『まだ他に、設計者として考えておくべき事、やっておける事はないだろうか?』と、
知的障害者の就労施設とグループホームを備えた福祉農園を運営している友人に相談をした時、
「彼らはね、やっぱりお母さんの事が一番大切なの。
 お母さんが幸せそうにしてるのが一番うれしいんだよね。
 だから、シン君のためにやっておくべき事はご両親と一緒に考えれば十分で、
 綾子は、お母さんが幸せに暮らせる家を作ってあげれば大丈夫だよ」
というアドバイスをくれました。
もちろんこれが唯一無二の答えではないし、
当事者にとってはそんな単純な話ではないのは十分分かっているのですが、
この時の友人の言葉が、この12年間、ずっと私の下支えになってる気がするのです。
それは、Kさんご家族と接するときに限った話ではなく、家を作るという行為の中で。

*

今もなお、シン君のご両親は多くの不安や苦労を抱えながら暮らしておられます。
とても前向きに。とても誠実に。
学校を卒業し、社会との距離が近くなることで、
シン君が感じるストレスも、生じる出来事の規模も大きくなっていくのだと思います。
奥さんが、どんな話も悲壮感など微塵も見せずに明るく話してくれるので、
おそらく私も、実際に起きてることの数パーセントも理解できていないと思います。
それでも、ほんのほんの少しだけど、シン君やご家族が辿ってきた道のりを知っているので、
ステージでピアノを弾くシン君の姿を見ると、ジーンとしてしまうのです。

*

あまり大げさに考えないようにしているけれど、
考えるとその責任の重さに苦しくなってしまうのだけれど、
やはり、その家族の人生に関わる仕事をしているのだいう自覚は持ち続けていたいものです。

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