手紙の代わりに

自分の知ってる言葉では表現できない気持ちがある。

10年前、『仕事とデザイン研究室』というプロジェクトの1期生として、1年間活動をしていた。
先週、その時のメンバーが急逝したという知らせを受けた。
全く意味が分からない。信じられないのではなく、意味が分からない。それが正直な気持ち。

友達とも知り合いとも違う、あえて言うなら『国分寺の仲間』。
たしか私より10歳くらい若かったはず。誕生日が私と一日違いだった。
私の稚拙な語彙で表現するならば、ヒップホップ系というのだろうか?
ラジカセを肩に担いでラップを歌っていそうな彼だった。
(あくまでもイメージ。本業は、本当に素晴らしい仕事をするやり手のデザイナー)
私の人生で交わることはないと思ってたタイプの人で、最初は話しかけるのにも緊張していた。
同じメンバーとは言えチームが違ったので、
そのプロジェクトの期間中はほとんど話をしたことがなかったけれど、
その翌年だったかな…、なぜか、ひょんなことから二人でバーで飲んだことが一度だけあった。
なんか、本当に愉しかったし嬉しかったんだよ。

その後、私のアトリエと同じ建物内で彼がお店を始めることになったり、
逆に、彼が借りていたシェアオフィスに私も入ることになったりと、
微妙に接点を持ちつつ、でも、ものすごく距離が縮まるわけでもなく、
『国分寺の仲間』という心地いい関係が続いていた。

彼には『仲間』がたくさん、もう本当にたっっっっくさん居たのです。
密なお付き合いの人はもちろん、私と同じような距離感で彼に一目置いていた人まで、
みんなが彼の『国分寺愛』を知っていて、彼が巻き起こす動きを頼もしく眺めていて、
だから、今、みんながこの大きな喪失をどう受け止めていいのか分からずにいるんじゃないかな。
多分、みんな、意味が分からないと思ってるんじゃないかな。
もう何度も経験している事なのに、人って本当に死んじゃうんだ…と、
あらためて驚かされてる感じです。

ブログに書くつもりなんてなかったんだけど、
さっき、メッセンジャーでの彼との会話を読み返してみたら、この10年の間に、
意外なほどいろんなやり取りをしていたことに少し驚いて、
初めて、この悔しい事実が輪郭をおびてしまい、
メールの続き、彼へのメッセージを打ちたくなった衝動をここに転嫁したくなりました。

最後のやり取りは、今年の2月、
彼のお店がリニューアルオープンしたのでお祝いがてらに立ち寄った日の夜。
来店のお礼と共に、「また今後も仲良くやらせていただければと!」と書かれていました。
それに対する私の返事に、ハートのスタンプが押され、「あざます!」と。それが最後。

今、送れるのならどんなメッセージを送るだろう。
彼へのメッセージだからここには書かないけど。笑
哀しいも切ないもつらいも寂しいも、ちょっと違う。この気持ちを表現する言葉を知らない。
んーーーー。もう少し、引きずりそうです。

大きな人でした。存在も、残したものも。

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