2023.12.30
2023年もまだあと一日残っていますが、ブログ納めをしようと思います。
でも、今年の振り返りはしないでおこうかな。
どんな一年だったかと反芻したり、反省したり、そういうことをせずに、
年越しの宿題もしばし忘れて、軽やかに2024年を迎えにいこう。
秋ごろに、このHP内に『1/365』というページをこっそり追加しました。
気付いてくれてる人はどのくらいいるんだろう?
そもそも、このHPにアクセス解析は付けていないので、
いったいどのくらいの人がこのブログを読んでくれてるのかも全く分からないのだけど。笑
『1/365』は文字通り、毎日必ず何かしら書くページとして始めました。
個人のインスタをやめようかな…と思い始めたことや(まだ絶賛やってるけど)、
毎日必ずやるという『自分との約束を守る』練習をしたかったこと、
一日をちゃんと終わらせる儀式的なルーティンを作りたかったこと、
ブログはブログで、もう少し内容をしっかりしたものにしていきたいと思ったこと、などなど、
理由はまぁいろいろありまして、試しに始めてみて、とりあえず2か月半続いています。
『Diary』にしてしまうと書くことが限定されてしまいそうだったので『1/365』にしたのですが、
これは今のところ、心理的には功を奏しているようです。
とは言え、始めたばかりで、ブログとの棲み分けもうまくできておらず、
なんでわざわざ書くページを増やしたのか、その目的が自分でも明確になっていません。
物書きになりたいわけでもないのに…。笑
それでも、とりあえずこの形でつづけてみます。
思いついてやってみたことに何かしらの意味はあるだろうし、
続けることで何か見えてくるものもあるでしょう。
2024年の6月に、独立25周年を迎えます。ついに四半世紀!
10周年も20周年もなんにも特別な事はしなかったけど、
25周年も、イベント的な事は何もしないだろうけど、
来年は、特別で大切な年と位置付けて過ごしたいと思います。
何を変えるか。何を変えないか。
一年後、私はここにどんなことを書いてるのかな。
来年は、あまり先ばかり見通そうとせず、過去を振り返りもせず、
今年以上に刹那に、一日一日に自覚的でいられたらと思います。
来たる2024年もどうぞよろしくお付き合いだくさいませ。
2023年のすべてに感謝を込めて。
ありがとうございました。
サブリエ 金沢綾子
2023.12.27
中島岳志さんの『思いがけず利他』を読み返す。
前に読んだのはそれほど前ではないし、内容はざっくりと覚えていたけれど、
なぜか、初めて読むみたいな新鮮な気持ちで読み進めていました。
前回も適当に読み流してたわけではないはずだし、
もともと、利他という言葉の概念があまり好きじゃないから、
やや斜に構えて読んでいた可能性も無きにしも非ずだけど、
今回は、書かれている言葉がしっくりと自分の中に吸収されていく感じ。
はっきりと、解像度があがっているのを感じます。
この本に限ったことではないけれど、読書のおもしろさというのは、
同じ本を何度も読み直すと、その都度、受け取るものが変わり、
それはつまり、自分が少しずつ変化していっている事に気付ける事なんじゃないかな。
今回は特にそれを感じました。
前回、私は一体何を読んでいたんだろう?という気にさえなったけど、
ここ数か月ぐるぐるといろんなことを考えて混沌としていたものが、秩序だってくれた気がして、
今読んだから分かることがあるのだろうな、と。
いつか読もうと積読状態の本がたくさんあって、それなのについ新しい本を買ってしまって、
買ってはいないけど読みたいと思っている本もたくさんあって、
生きているうちに読める本には限界もあるんだけど、
来年は、過去に読んだ本をもう一度読み返す時間も意識的に取りたいと思います。
*
件の本。
タイトルが『思いがけず利他』だし、もちろん利己や利他についての考察はされているんだけど、
もっと深いところで、今生きている偶然性について書かれていて、
とても雑な要約だけど、
利己とか利他とか考えてても仕方ないよというメッセージとして、今の私は受け取りました。
「名前が付いた時点でその存在は消滅する、そのものでなくなる」
と、以前何かに書かれていたのを目にしたことがあるけれど、
これ、本当にそうだなと思うのです。
人の意識や行動に名前を付けるって、とてもナンセンス。
言葉以外の伝達手段をもたない私たちは、どうしても気持ちを言葉で説明してしまうし、
言葉にして外に出さなければ、その気持ちそのものがないものになってしまうけれど、
そして、言葉にして伝えることがとても大事なことであるのも事実だけど、
もう少し、言葉に頼るのをやめてもいいんだろうなと思います。
と、思ってることを言葉を使って伝えようとしているこの矛盾。笑
まとまるわけがない。
2023.12.19
リフォーム現場に、表替えを終えた畳が入りました。
今回は、打合せの段階で畳表のサンプルを用意して、
国産の井草と中国産の井草を見比べ、差額も伝えた上で国産を選んでもらったのですが、
やはり、目の柔らかさやしなやかさが違う。
畳になってしまえばそんなに分からないかもしれないけれど、表で見比べると全然違うのです。
天然自然素材故に、人工的な商品独特の均一的なきれいさがないのも、個人的には好き。
1本1本の草が均一じゃないからこそ、それを美しく仕上げるために、
とても贅沢な草取りをしている事も、今回、畳屋さんに教えてもらって初めて知りました。
特に指定しなければ、今は中国産の井草が使われるのだそう。
井草どころか、樹脂の畳もたくさん出回っているし、
そもそも、本当に和室を作る機会が減ってしまったけれど、
久しぶりに真新しい畳の匂いに包まれ、日本人のDNAが呼び覚まされました。
工務店に勤めていた頃、仕上表には必ず畳表を『備後』と指定していていました。
正直、20代前半のペーペーの小娘にはあまりよく分かっておらず、
そう書けと言われたからそのまま書いていただけなんだけど、
あの頃(30年前)に当たり前に使っていた素材と今の標準の違いを、
あらためて確認していくこともしてみたくなっています。
と、この流れで写真を載せるなら、当然畳の写真なんだけど、
畳より心奪われたのがこちら。畳屋さんの道具。
畳を敷き込む作業の時に、職人さんの6本目の指のような働きをしていていました。
かっこいいなー。
職人さんの道具へのあこがれが強いのです。
現場で、見たこともない便利そうな道具を見せてもらうと、うらやましくなっちゃって、
自分でも欲しくなって買ってしまい、そのまま一度も使うことなく仕舞われてるものも多々あり。笑
(ちなみに、今いちばん欲しいのは、バネ製造機なんですけどね。
私の『バネ愛』を語りだしたら止まらなくなるので、この話はまたの機会に。笑)
昔、設計の師匠に、
「設計者は鉛筆が道具の職人にならなければいけない」
と言われたことがあり、職人でありたいと願う私のよりどころの言葉だったんだけど、
今となっては、そのたったひとつの道具さえ使わなくなってしまっている。
職人とか手仕事に憧れてばかりいるのは、やはり、自分の仕事の身体性の欠如なんだろうな。
2023.12.6
自分の知ってる言葉では表現できない気持ちがある。
10年前、『仕事とデザイン研究室』というプロジェクトの1期生として、1年間活動をしていた。
先週、その時のメンバーが急逝したという知らせを受けた。
全く意味が分からない。信じられないのではなく、意味が分からない。それが正直な気持ち。
友達とも知り合いとも違う、あえて言うなら『国分寺の仲間』。
たしか私より10歳くらい若かったはず。誕生日が私と一日違いだった。
私の稚拙な語彙で表現するならば、ヒップホップ系というのだろうか?
ラジカセを肩に担いでラップを歌っていそうな彼だった。
(あくまでもイメージ。本業は、本当に素晴らしい仕事をするやり手のデザイナー)
私の人生で交わることはないと思ってたタイプの人で、最初は話しかけるのにも緊張していた。
同じメンバーとは言えチームが違ったので、
そのプロジェクトの期間中はほとんど話をしたことがなかったけれど、
その翌年だったかな…、なぜか、ひょんなことから二人でバーで飲んだことが一度だけあった。
なんか、本当に愉しかったし嬉しかったんだよ。
その後、私のアトリエと同じ建物内で彼がお店を始めることになったり、
逆に、彼が借りていたシェアオフィスに私も入ることになったりと、
微妙に接点を持ちつつ、でも、ものすごく距離が縮まるわけでもなく、
『国分寺の仲間』という心地いい関係が続いていた。
彼には『仲間』がたくさん、もう本当にたっっっっくさん居たのです。
密なお付き合いの人はもちろん、私と同じような距離感で彼に一目置いていた人まで、
みんなが彼の『国分寺愛』を知っていて、彼が巻き起こす動きを頼もしく眺めていて、
だから、今、みんながこの大きな喪失をどう受け止めていいのか分からずにいるんじゃないかな。
多分、みんな、意味が分からないと思ってるんじゃないかな。
もう何度も経験している事なのに、人って本当に死んじゃうんだ…と、
あらためて驚かされてる感じです。
ブログに書くつもりなんてなかったんだけど、
さっき、メッセンジャーでの彼との会話を読み返してみたら、この10年の間に、
意外なほどいろんなやり取りをしていたことに少し驚いて、
初めて、この悔しい事実が輪郭をおびてしまい、
メールの続き、彼へのメッセージを打ちたくなった衝動をここに転嫁したくなりました。
最後のやり取りは、今年の2月、
彼のお店がリニューアルオープンしたのでお祝いがてらに立ち寄った日の夜。
来店のお礼と共に、「また今後も仲良くやらせていただければと!」と書かれていました。
それに対する私の返事に、ハートのスタンプが押され、「あざます!」と。それが最後。
今、送れるのならどんなメッセージを送るだろう。
彼へのメッセージだからここには書かないけど。笑
哀しいも切ないもつらいも寂しいも、ちょっと違う。この気持ちを表現する言葉を知らない。
んーーーー。もう少し、引きずりそうです。
大きな人でした。存在も、残したものも。