2024.1.24
今朝の7時3分。
昨日の謎、解けましたよ。
とても分かりやすく説明してくれてるサイトを見つけました。
分かりやすくまとめてはあるけれど、すごいボリュームで、分かりやすくても難しくて、
学生時代から地学が苦手だった私には、全く要約できそうもありません。笑
『均時差』というものがあるのだそう。
日時計の示す時刻(視太陽時)と時計の示す時刻(平均太陽時)には、
時期によって決まった値でズレがあり、このズレの大きさを均時差と呼ぶそうです。
そのズレの値がなかなか驚きの数字で、
2月12日に-14.2分
5月15日に+ 3.7分
7月27日に- 6.5分
11月4日に+16.4分
均時差がほぼ0になるのが、
4月16日頃、6月14日頃、9月3日頃、そして冬至の12月22日頃。
(こちらはグラフから読み取ってるので「頃」にしておきます)
テキストだけだとイメージしづらいでしょうが、
1年の間に2つずつの山と谷を持つ波線グラフで値が変化していました。
こんなにズレているなんて想像もしなかったわ…。
そのサイトには、さらに、地軸や軌道の楕円と絡めた解説もありますが、割愛。笑
設計をしていると「日影図」という図面を書くことがあり、
その建物が近隣にどのくらいの影を落とすかを、その図面で検証します。
建設地の緯度経度により、各時間の時角が決められているので、
同時刻で角度が変わるなんて思いもしなかったのです。
でもそうなると、日影図の精度も怪しくなるじゃないか…と一瞬思ったけれど、
日影図は冬至の太陽高度を使って作成するから、つまり均時差が0の日だからOKなのね。
なるほどねぇ…、なるほどなぁ…、の連続。
今まで知らなかったことを知った時、こんなコトは実は常識でみんな知っていて、
知らなかったのは私だけなんじゃないか?と不安になるものです。
知らなかった人がいたとして、その人たちは全く興味がない話かもしれないので、
一体何のために私はこの記事をこんなに頑張って書いているのだろう…と可笑しくもありますが、
これはもう完全に自分の為の備忘録です。お付き合いありがとうございます。
ここで復習。あらためて昨日載せた4枚の写真を見てみましょう。
グラフから読み取るに、11月24日の均時差は約+15分で、昨日1月23日は約-12分。
合わせると27分ものズレがあるのだと分かると、また、「なるほどねぇ…」と唸ります。
明日からまた、太陽の観察が愉しくなりそうです。
このズレの値が、時期によって決まっていて、毎年変わらないというのもすごい。
地球とか、宇宙とか、もう何もかもが奇跡だな。
*
さて。
すっかり、設計事務所のHPじゃなくなってきていますね。笑
インスタも全然更新してなくて…。
なんで私は仕事の事を書きたがらないのだろう?笑
今日は基礎の配筋検査に行った後、リフォームの打合せもありました。
上記の均時差のサイトは、移動の電車の中で見つけて読みました。
誰かに怒られる訳でもないけれど、
決してさぼっているのではないと、たまには言い訳をしておこう。笑
2024.1.23
冬至から1ヶ月経ち、日が長くなってきた印象はあるけど、
今朝7時の東の空。(正確には7:04)
最近は、調べたことだけでなく、例えば漢字の読み方や雑学みたい小さなものでも、
知識として得たものはなるべく手帳に書き移して定着させるようにはしています。
そのくらい、割と切羽詰まった感覚で、このままじゃまずいぞと思っているのでしょう。
何かご存じの方がいらっしゃれば、ご一報くださいませ!笑
2024.1.7
もう7年くらいテレビのない生活をしているので、
地震関連の報道は、自らインターネットで拾いに行かない限り目にすることはありません。
今はあえてそれらの報道から距離を置こうとしているのですが、
今朝、SNSに、山崎パンの被災地支援のニュースが流れてきて、
読みながら、13年前の事を思い出していました。
東北の震災直後、物流が止まり、東京でも食糧難が発生していた時、
いち早くお店に商品が並んだのが山崎パンのコッペパンシリーズでした。
その時の記事がこちら。
たまたま2か月くらい前にも、友達とパンの話をしていた時に、
その商品を積極的に食べるかどうかは別にして、私は山崎パンという会社が好きなんだよね、
と話したばかりでした。
今回に限らず、日本各地で災害が起きるたびに迅速に支援や回復に動く姿勢には、
素直に感謝や敬意を抱いてしまうし、小さな勇気を日本中に与えてくれてる気さえするのです。
こうやって大きく報道で取り上げられないところでも、
たくさんの人が自分のできる事をやっていているのだろうなと想像できるから。
もう一度書こう。
ありがとう、ヤマザキパン。
久しぶりにアーカイブから13年前の投稿を拾い出して読んでみたけど、
あの時の心情は今でもくっきりと輪郭を帯びて記憶に残っていました。
当時は本当に、自分の暮らし自体が非日常になってしまっていたし、
その頃は家にもテレビがあったので、様々な報道に翻弄されて思考停止にもなっていたな。
それでも、考えている事は今と変わっていなかったりして、それに少し安心もして、
あの未曽有の出来事を経験した時の自分の気持ちが、記録に残っていて良かったと思います。
ついでにもうひとつ。
これを書くのは少し勇気がいるんだけど。
かの国の主席が日本にお見舞いを伝えたというニュースを昨日読んで、
まずはすごく驚いたけど、素直に、本当に嬉しくなってしまいました。
そんなに単純な話じゃないことは百も千も承知しているけれど、
優しい世界になって欲しい、こうやって少しずつ世界が平和になっていってくれたらいいのにと、
小さな小さな希望の光を見たような気がしたので、これも記録しておこうと思います。
*
松の内が明けますね。
しっかりと気持ちを整えて、明日から仕事も本格始動です。
今年も頑張ります!
2024.1.6
新年あけましておめでとうございます。
季節を疑うような暖かさといい、世の中の出来事といい、
新しい年の訪れを寿ぐ雰囲気とは程遠い、お正月らしからぬお正月でしたね。
みなさん、お元気ですか?大丈夫ですか?
気持ちの置き場所が定まらなくなるような出来事は、
きっと生きている限り、この先も降りかかってくるのでしょう。
その都度やっぱり揺れてしまうだろうけれど、強い意志を持って平らかで居続けたいですね。
それぞれの思いは、それぞれが自分のものとして胸に秘めたままでいいのだと思います。
今の時代、いろんな声はどうしたって聞こえてきてしまうけれど、
それは、それぞれその人のオリジナルのものなのだから、
何か違和感を感じたとしても、否定や判断などせず受け流し、
自分はどう感じているのか、どう感じるべきなのかなんて探ることもせず、
そう、意志を持って、平らかで居続けたいと思います。
声にならない気持ちを、声に出さずに共感してくれている人はたくさんいるだろうから。
震災やパンデミック、そして個々の営みの中での小さな出来事を経験してきた私たちは、
きっと少しずつ、強くなっているような気がします。そこに希望を。
ということで、2024年が始まりました。
こういう時って、何かを願う発言をすることにすら一抹の罪悪感を感じてしまうけれど、
みなさんの毎日が明るく穏やかな日々の積み重ねになることを願います。
どうか、佳き一年となりますように。笑顔でいましょう。
今年もよろしくお願い申し上げます。