3年に一度、職業倫理をまじめに考える

3年に一度受講しなければいけない、一級建築士の定期講習。
通常は、一日講義を受けて最後に終了考査を受けて終わるのですが、
コロナ禍の為、講義は事前に各自がビデオ講義を受け、
考査のみ会場で受験するシステムとなり、本日受けてまいりました。

私はてっきりいつも通りの講習だと思い込んでいて、
事前に講義を受けなければいけない事、当日は考査のみだという事を知ったのが三日前。笑
いや~、焦りました。
トータルすると6時間近い講義が、スキップや早送りができない仕組みになっていて、
一夜漬けならぬ二夜漬けでしっかり受講しましたよ!
気づくのが当日じゃなくて本当に良かったー。

講義の内容は主に、建築基準法を中心とした関連法規と、最新の建築技術、
建築士の職責や倫理、紛争、そして実務についての4本柱。
この講習会が私は結構好きで、面倒くさいとか言いつつも、
3年ごとにこういう話を聞けるのは、矜持を失わない為にとても大事な気がしています。

特に職責倫理の話は、求められる責任と、現実社会での設計者の立ち位置との乖離に、
毎回「むむむむむ?」と感じてしまうのですが(適正報酬の話もかなりむむむ。笑)、
教科書通りにはいかないまでも、もう少しシャンとしなければと反省するのです。
まずは、講習会の開催内容くらいはきちんと確認してから申し込む人にならねば。笑

受講者は20名くらいでしたが、女性は私一人。
自分の周りには同性の同業者がたくさんいるし、
活躍している女性建築士はゴマンといる印象ですが、
やはりまだまだ男社会なのね…と感じます。
オジサン化が止まらないオバサン建築士、背筋を伸ばしなおして奮闘を続けます!

そう、この感じ。

木造2階建ての基礎の設計で、どうしても気になることがあり、構造設計事務所さんに相談。
やはり違和感を感じた部分には少し無理な力がかかっていて、
それを解決する方法をアドバイスしてもらう。
より良くするために知恵を出し合って検討する作業がとても好きです。

そのまま進めたからって建物が倒壊するわけでもないんだけど、
図面を見ていて「なんか気持ち悪いよね」と感じる事があるんですよ。
この「なんか気持ち悪い」という感覚。
私が一番大事に、そして信頼している感覚かもしれません。
そう感じた時は、必ずもっといい方法があるわけで、
その方法が見つかると、不思議なくらい気持ちのいい図面になるのです。
いや、言葉遊びではなくてね。
気持ちのいい図面というのがあるのですよ。

今日の相談の最後も「あー、これで気持ちよくなりましたね」で締めくくられました。笑
この感じ、ちょっと久しぶりだったので、とても気分爽快です。

声を出す。声を聴く。

暖かい土曜日です。
この風は春一番のようですね。

昨夜は高校時代の友人と久しぶりに長電話をし、
今日は仕事がらみの相談を受けていた友人の家に行き、
やはり久しぶりにとりとめのない話をしました。

声を出す、自分の声を聴く、相手の声を聴く。
ただそれだけの事で、体の中に酸素が充満するような気持ちよさがあります。

一昨年までは、商店街のような場所の路面にアトリエを構えていたので、
割とひっきりなしに人が訪れてくれていて、
その時はその時で、もう少し集中して図面を描ける環境にしたいぁ…
なんて思っていたのですが、実際それを手に入れると急に人恋しくなる。笑
どこまでもないものねだりの天邪鬼だなーと思います。

整体の先生に「脳が酸欠してるよ」と言われているのです。
内省する時間が多すぎるんですよね。
最適な仕事の環境というのはなかなか見つけられないけれど、
やっぱり、もう少し人と話す時間を増やしたいかなー。

春。
とりあえず、家の中だけでなく、心も体も風穴を開けて風通しよくしていきましょう。

 

ひなまつり

一雨ごとに春に近づきますね。
今日はひな祭り。

ちびまる子ちゃんのひな祭りのお話の中で、まるちゃんが、
『これはお姉ちゃんのお雛様だもん!まるこのお雛様はないもん!』
と拗ねて、お母さんを困らせる場面があったのですが、
このまるちゃんの気持ちがよく分かるんですよね。
ちびまる子ちゃんは『次女あるある物語』なんですよ。
あんなに楽しい漫画なのに、ほろっと泣いてしまう場面が結構あるのです。

そんなわけで、私のお雛様はないので(笑)ひな祭りらしいことは何もしませんが、
春を感じずにはいられない気持ちのいい朝。
家中の窓を全開して空気を入れ替えて、少し気持ちもリフレッシュ。
花粉症じゃなくて良かった…。

いつも通りのなんでもない日を言祝ぎましょう。

建物の完成がゴールではない

前回の記事で、忽然と消えてしまったと書いた投稿。
今、ブログの管理画面を開いたら、なぜかしれっと下書き投稿として戻ってきてました。笑
機を逸したのでどうしようか迷ったけど、せっかく書いた記事なのでアップしておきます。
最後に動画を貼り付けるのは諦めたので、ちょっと尻切れとんぼな記事なってしまいますが、
よろしければお読みください。

*
K様邸。

竣工は2010年だったので、もうかれこれ12年のお付き合いになります。
竣工後も何度かに渡り、子供室の改装など、
家族の成長や変化に合わせた改修工事をしてきたというのもありますが、
仕事という枠を超えてよいお付き合いを続けさせて頂いているお施主様の一人です。

先週末は、そのK家の長男シン君のピアノの発表会に行ってきました。
彼の為だけにホールを借り切って、シン君が4曲を披露する、
小さなコンサートのような発表会です。

 

建築当時のシン君は中学生。
知的障害を伴う自閉症である彼が、ちょうど思春期に差し掛かり、
いろんな行動障害がみられるようになった時期でした。
言葉で表現することができないまま抱えている彼のストレスを吸収できる家にするために、
また、一緒に暮らす兄弟たちとの関係性にも配慮をしながら、
ご両親と一緒にいろんなことを考え、策を練り、検討をしていたあの頃。
その後も成長に伴い、当時は予測もできなかった変化もたくさん起こり、
その都度ご相談をいただいて、家という箱の中で出来得る対策を取ってきました。

新築の設計時、
『まだ他に、設計者として考えておくべき事、やっておける事はないだろうか?』と、
知的障害者の就労施設とグループホームを備えた福祉農園を運営している友人に相談をした時、
「彼らはね、やっぱりお母さんの事が一番大切なの。
 お母さんが幸せそうにしてるのが一番うれしいんだよね。
 だから、シン君のためにやっておくべき事はご両親と一緒に考えれば十分で、
 綾子は、お母さんが幸せに暮らせる家を作ってあげれば大丈夫だよ」
というアドバイスをくれました。
もちろんこれが唯一無二の答えではないし、
当事者にとってはそんな単純な話ではないのは十分分かっているのですが、
この時の友人の言葉が、この12年間、ずっと私の下支えになってる気がするのです。
それは、Kさんご家族と接するときに限った話ではなく、家を作るという行為の中で。

*

今もなお、シン君のご両親は多くの不安や苦労を抱えながら暮らしておられます。
とても前向きに。とても誠実に。
学校を卒業し、社会との距離が近くなることで、
シン君が感じるストレスも、生じる出来事の規模も大きくなっていくのだと思います。
奥さんが、どんな話も悲壮感など微塵も見せずに明るく話してくれるので、
おそらく私も、実際に起きてることの数パーセントも理解できていないと思います。
それでも、ほんのほんの少しだけど、シン君やご家族が辿ってきた道のりを知っているので、
ステージでピアノを弾くシン君の姿を見ると、ジーンとしてしまうのです。

*

あまり大げさに考えないようにしているけれど、
考えるとその責任の重さに苦しくなってしまうのだけれど、
やはり、その家族の人生に関わる仕事をしているのだいう自覚は持ち続けていたいものです。

何者かの仕業

先日、OBのお客様の息子さんのピアノ発表会、
発表会というより、小さなソロコンサートという表現が正しいのですが、
その会にお招きいただいて行ってきたのです。

その息子さんの事、ご家族の事、当時の家づくりの事、このコンサートの事、
その全てが私にとって、とても大切で思いの深いものでして、
丁寧に時間をかけて、ブログの記事として言葉を紡いでいたのですが、
最後に、その演奏の動画貼り付けようと、もぞもぞ作業しているうちに、
いつのまにか、したためた原稿が丸ごと消えてなくなっておりました。。。
かなり凹んでいます。笑

たまにあるんですよね。
意を決して書いた懇親の記事ほど、こういうことが起こりやすいのです。
すぐに書き直すこともありますが、
あー、これは、今じゃないという事なんだな。。。と判断することもあり、
今回は後者のような気がするので、
いつかまた、その時が来たら書いてみようと思います。

*

今年に入ってから、難易度が高く時間的にタイトな仕事が重なっていて、
毎日アワアワするばかりで、気持ちに余裕がなく、
いつも何かに追い詰められている状態が続いていたのですが、
先週末の打合せでやっと一山超えて、健やかな精神を取り戻しました。笑

その解放感たるや、うれしさのあまり、
生まれて初めて居酒屋さんでひとり呑みをしてしまったくらいです。笑
結論から言うと、ひとりで吞んでもあまり楽しくはなかったのですが、
それでも、ビールがおいしくて、食事がおいしくて、気分は爽快で、
実に幸せな時間ではありました。

本当は、だれか友達を誘って祝杯に付き合ってもらおうかと思ったのですが、
スマホのバッテリー残が1%になっていて、
お誘いのメールをした直後に切れてしまったら目も当てられないので断念した次第。笑
いろいろと「ダメじゃん!」なのであります。

一山超えたといっても、仕事が終わったわけではなく、
時間の猶予が与えられただけなので、気は緩められないのですが、
朝、起きた瞬間に切なくなって憂いのため息をつく日々はもう終わりです。多分。笑
本当に、気持ちに余裕がないというのは何もいい結果を生みませんので、
落ち着いて取り組んでまいりましょう。

たまには、友達と美味しいお酒を飲んで気分転換もしながら。
スマホの充電には常に気を遣いながら。笑

茹でられながら、蛙もいろいろ考えるのだ

終わりの見えないコロナ禍。
毎日一方的に流れてくる数字や情報。
国や行政からのお願い、名前だけついて本質がよく分からない措置やら宣言やら。
実際の生活に大きな影響を受けてない人でも、
この2年余りで小さな棘が刺さり続けて、相当疲れているよね。。。

そんなことを考えながら、ふと、戦時中に思いを馳せてしまいました。
空襲警報が鳴り、そのたびに防空壕に避難し、じっと身を隠し、解除されてまた家に戻る。
何度も何度も、そんな空振りの避難をし続けていたんだろうな。
空襲がなくてよかったという安堵も、もちろんその都度あっただろうけど、
一体いつまでこんな生活が続くんだろう、
警報が鳴るたびに避難する意味って本当にあるのだろうか、
そんな気持ちを抱えながら暮らしていた人もたくさんいたんじゃないかな。

と、こんなことを書いていたら、10年前に自分が書いたブログを思い出しました。
原発事故とその後の世の中の流れ、自分の身の置き場に悶々としていた時に書いたものです。

https://sablier.jp/2012/01/07/2028/

今の状況を、戦争やあの震災・原発事故と同列で語るのは違うのは分かっているんだけど、
結局、市井の人々の歴史って、いろんな不条理の中で、
考えても仕方ない事で悩み、有りもしない絶対的な正解を探しながら、
でも結局、自分にできることは普通の生活をいつも通りに送ることだけと気づいて、
いろんな思いに蓋をしながら日々の生活を送っていく、その繰り返しなんでしょうね。
もし何年か前に遡って、
「数年後にこんな感染症が流行り、
 世界中で4億近い人が感染し、600万人を超える死者が出ます」
と、今の現実の数字を出されて予言されたら、
まさか!そんなことが起こったら世の中滅びちゃうよ、と思うだろうな、と、
いつも不思議な気持ちになるのです。
でも、現実、起きている事。

教科書の数ページでまとめられている歴史上の大きな出来事でも、
その渦中に生きていた人の暮らしは、
今の私たちとそんなに変わらなかったのかもしれないな。

分からないけど。

*

朝は本当に寒かったけど、ブログを書いていたら日が差してきました。よかった。

1時間くらい前かな?
一瞬だったんだけど、市のスピーカーから謎のサイレン音がかすかに聞こえてきたのです。
その音を聞いて空襲警報を思い出し、
そこから派生した思いを少し書き留めておこうとブログを立ち上げたのですが、
思いがけず長くなりました。笑

仕事に戻ります(*^^*)

素晴らしき黒鉛

鍵穴に鍵を抜き差ししたり回すの時に引っかかりが生じて動きにくくなった時、
KURE556のようなCRCを使ってしまうと、かえって、のちのち事態を悪化させます。
鍵に鉛筆やシャーペンの芯をこすりつけて、なんどか抜き差しするだけで、
あっという間に動きがスムーズになるんですよ。鍵穴に油は厳禁!鉛です!

というのは、割と事あるごとに周りの人にアドバイスしてきたのですが、
我が家のお風呂場のドアがキーキーと音を立てるようになり、
理屈は一緒だからこの場合も黒鉛で解消するのかしら?と試してみたら、
ちょっと塗りこんだだけであっという間に解消されました。
すごいな、魔法の粉だな。

家にCRCがあるのなら、建具の丁番に使う分には問題ないので即解決なのですが、
お手元になく、わざわざ買っても使い切るのかしら?と躊躇している場合は、
鉛筆の芯で代用してみてください。Bや2Bの芯がオススメです。

以上、マメ知識。

*

そういえば昔、友達に、
お風呂の床の汚れがどうしても落ちないんだけど、何かいい方法ない?
と聞かれ、この洗剤を使ってこんな風にお掃除したらきれいになったよ、と、
私の経験談でアドバイスをしたら、
それは主婦のアドバイスでしょ?一級建築士としてのアドバイスが欲しいのよ!
と言われて大ウケしたことがあったのを思い出しました。
お掃除の仕方は建築士の試験に出ないんだな…残念ながら。笑

 

節分に思う

注文していた本が2冊同時に届く。

圧倒的に『生き物の死にざま』の方がおもしろかった。

もっと素直に、自由に、
自分の興味の向かう方へエネルギーを開放して生きていっていいんだろうな。

そんなことを考える、2022年の節分。

見えるもの 見えないもの

もう少し時間に余裕がある時に、じっくり時間をかけて書きたいテーマなのですが。

先日読んでいた『言葉が鍛えられる場所/平川克美著』の中に、
小池昌代さんの詩『永遠に来ないバス』を引用し、

 

(略)~ 小池昌代という詩人は見えないものを見るという経験をわたしにもたらしてくれていることに気づきます。
 見えないもの、それは時間なのですが、詩人が詩人になるのは、見えないものが見えるときなのかもしれません。
 でも、見えないものが見えるだけでは、ひとは詩人にはなりません。見えないものを他人にも見させることができること、つまりは、見えないものを見えるように表現する奇術を使うことで、詩人になるのでしょう。

と書かれた一節がありました。

そして昨日、久々に読み返していた
『建築はほほえむ 目地 継ぎ目 小さき場所/松山巌著』の中に、

 

建築家は、(略)、多くの建築の使用者が、多くの職人や技術者が見ない風景を見ようとする。
その見えない風景を見えるものにする、それが建築家に課された役割だ。

という一文を見つけ、なるほどと思い、
吉村順三さんの『建築は詩』をパラパラと読み返してみたりして。

そして、去年、完成した家を見たお施主様に、
「この家がこうなることを、金沢さんだけは最初から知ってたんですよね」
と言われ、そうなのかな…と不思議な気持ちになったことを思い出しました。

*

オチはないんです、この話。笑
ここ最近、図面を描くという作業の目的とか責任について考えることが多く、
そういう意味では、何か大事なメッセージを受け取ってるのかもしれないけれど、
特に答えが出たわけでもなく。。。

ただ、仕事とは関係なく、
『見えるもの 見えないもの』という言葉には大切な思い出もあり、
人は一体何を見ているんだろう?という問いも、いつも自分の中にあり、
立て続けにこの言葉に触れる機会があったという事は、
きっと、今の自分が、何かを必死に見ようとしてるからなのかな?と思ったり。

ぜーんぜんまとまらない。笑
備忘録のようなもの。
決して、『建築家は詩人』みたいな大仰なことを書きたかったのではありませぬ。

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