23周年!

昨日6月8日は創立記念日。
1999年に前屋号のアトリエ朋として独立してから満23年となりました。

この写真は独立まもない頃、15年~20年前くらいに設計した住宅群。
これ、すべて建売住宅なのです。

 


独立前、不動産会社の設計室にいて、
『お金のある人は注文住宅、
無い人は建売住宅』みたいな構図が
当たり前のように存在している
ことにいつも憤慨していて、独立後、
『建売を買うしか手段のない
人にもいい家に住む権利はある!
 私が日本の建売住宅を変えてやる
!』
と鼻息荒くしていた頃の仕事です。笑

この頃の仕事を見返すと、粗削りだったり大胆だったり、
恥ずかし
くなるところも多々あるけれど、
いい家を作りたいんだという情熱
や、一箇所一箇所の納まりに込めた想いみたいなものは、
いろんな
事に手慣れてしまった今の私は完全に負けているなぁ…と感じます
頑張らないとね。

23年という全くキリの良くない年だけど笑、初心忘るべからずで記念日にアップしてみます。

24年目の建築業界。
建築費の高騰を筆頭に不安な要素はたくさんありますが、
私は私の
仕事をしていくしかありません。
とりあえずは2年後の25周年を笑顔で迎える事を目標に、
昔の自
分にも励まされながら頑張ろうと思います。
引き続き、よろしくお付き合い下さいませ。

どこに向かっているのだろう…

ネットニュースを見ていて、あだ名を禁止する小学校が増えているというニュースに目が留まる。
あだ名を容認するのも禁止するのも、それぞれに問題は孕んでいるだろうし、
それを良い悪いと論ずることはできないんだけど…。

何か問題が起きるたびに、それを防止するために約束事やルールが増えていき、
事の大きさによっては、新たな規則ができ、時には法律まで変わっていく。
そうすることで守られていくものも当然増えていくけれど、
一方で、失われていくものは『想像力』なんじゃないかな。
あるいは、『自分で考える』という能力。
…一緒かな。

世の中を憂うような生き方はしていないけれど、
この『想像力の欠如』に関してだけは、もう長い事、由々しき問題だなぁと考えています。
ちょっと想像してみれば分かりそうなのに…と感じることがどんどん増えていきますよね。
もちろん自戒を込めてなのですが、時々、とても怖くなります。この国の行く末が。

想像力さえあれば、ルールとかコンプライアンスとかに縛られず、
もう少しおおらかに生きていけるはずなのになぁ…。

あの子がねぇ…♡

今日は高校時代からの友人のお誕生日。
お祝いメッセージを送ったら、その返事に、
今春から新社会人になった長男君が誕生日をお祝いしてくれるらしいので、
今から六本木に行くのだと書かれていました。

胸熱だわ~。

生まれた時から知っていて、彼が幼稚園生の時に建てた家の設計をさせてもらったのもあり、
友人の子供というよりも、親戚のおばちゃんのような気持ちで、
(でも、ずっと『綾ちゃん』と呼んでくれているのだ!)
彼の成長を割と近くで見てきたものですから、なんだか感慨深いのです。
あの子が、お母さんのお誕生日の為に六本木のお店を予約するような大人になったことが。

姉夫婦に子供がいないので、甥っ子姪っ子の居ない私にとって、
こんな気持ちを経験させてくれる古くからの友人の存在は本当にありがたいものです。
その友達も最高にうれしかっただろうなぁ…。

*

ちなみに。
お祝いメッセージに、
『年相応に身体のあちこち(脳含む笑)がポンコツになってくるけど、
 それ自体も笑い飛ばして楽しみながら、また一年、元気に愉しく過ごしてね』
と書いたら、返事には、
『本当に脳の劣化が激しくて困る!芸能人の名前が出てこないとかのレベルではなく、
 一緒に働いてる人の名前もすぐに出てこない』
と書かれていました。笑

分かるわ~。

でもね、多少脳がいかれても、こんな幸せな誕生日を過ごせるのなら全然OK!
Iちゃん、お誕生日おめでとう♪ 新たな一年に幸多かれ!
(このブログ見てないだろうけど。笑)

*

おまけ。

新築時に駐車スペースに付けた彼の足跡と、15歳の誕生日に彼の足を並べて撮った写真。
この時も感慨深かったんだけどね。
当たり前だけど、どんどんどんどん大人になるんだな、こうやって。

6月はしなやかに

ゴールデンウィークもあったし、公私ともに用事が多かった上に、
いろんな哀しいニュースに気持ちを持っていかれて落ち着かない一か月だったので、
今年の5月は、ワープしたみたいにあっという間に過ぎ去っていきました。
さらにこの週末の真夏のような暑さもあったので、(もう首に汗疹ができた…)
そうか、まだ5月なんだよな…と少しびっくりしている晦日です。

相方さんの命日もあり、どうしても少し気持ちが不安定になりがちなので、
初夏の気持ち良さとは裏腹に、元々5月という月は少し苦手。
今月は、久しぶりの再会とか嬉しい事も楽しい事もたくさんあったのだけれども、
やっと5月が終わる…という安堵の気持ちが大きいかな。

明日から6月。梅雨入りも近そうですね。
空気だけでなく、気持ちもカサカサすることなくしっとりしなやかに過ごしていきましょう。

6月も気温の乱高下が続く予報のようです。
体調を崩しやすい季節なので、くれぐれもご自愛ください。

雨降って地固まる

昨日は、来月から工事が始まるY邸の地鎮祭。

午前中の土砂降りの中、現場へ向かう車中で監督さんと、
「始まる頃にはやむよね、きっとやむよ」
と祈るように会話し続けた甲斐あって、式の30分前には雨もやみ、
滞りなく床鎮めの儀を終わらせることができました。

雨がやまなかったとしても、足場のシートやテントなど、
工務店さんが完璧に雨対策の準備をしてくれていたので何も心配なかったし、
地鎮祭の雨は「雨降って地固まる」と言って決して縁起の悪いものではないのですが、
あれだけ降っていた雨が式の直前にやむというのは、
もうそれだけで、この現場はうまくいきますよと神様に言われているようでうれしいものです。

*

午後はその足でYさんご夫婦とショールームに行き、メインの設備機器の仕様決め。
デザインにしても機能にしても暮らしに求めるものにしても、
嗜好が私とよく似ているご夫婦なので、ここまでの打合せも含めすべてがスムーズに進み、
お互いに不安なく着工を迎えることができます。ありがたい事です。
一番の共通点は猫を溺愛していることで、設計の打合せ中も猫絡みの妄想ばかりして、
「アホ3人だね」とよく笑いあっていました。笑

工務店さんも加わり、みんなが完成を心待ちにしている愉しい家です。
完成する頃には今年も終わりの声が聞こえているでしょう。
ひとつのプロジェクトのスパンが長いこの仕事をしていると、
毎年3月頃には、『あぁ…もう今年も終わってしまう…』という気持ちになってしまい、
それを言うと、周りの人に驚かれてしまうのですが、
例えば今から計画が始まる新築住宅なら、完成は来年になるでしょうから、
やっぱり、時間の感覚が少しワープしがちなのだと思います。職業病。
焦らず慌てず、もう少し刹那的に一日一日を実感していかないといけませんね。

*

何はともあれ、このまま順調に工事がすすんでいきますように。かしこみかしこみ。

 

廃墟はなぜこうも私を魅了するのか

役所調査に行く途中で見つけた魅惑的な場所。
ロケーションと言い、ビジュアルと言い、どストライクで私好みの廃墟。
アプローチのモサモサな植物たちがたまらない♡

アトリエに欲しいなぁ…。丸ごと。
こんな建物が手に入ったら、またギャラリーとかやりたくなっちゃうだろうなぁ…。
妄想が膨らむ膨らむ。笑

一か八かの屋上展望

千葉の現場が無事に上棟。

海岸からすぐの場所ではあるのですが、敷地の前がワッサワサの防風林のため、
通常の2階建てだと、家から海を眺めることはできないのです。

でも、『絶対』とは言い切れなかったのだけど、
屋上を作ればそこから内房の海を一望できると思いますよ…と提案して、
ちょっと広めのルーフバルコニーを計画しました。

結果。

想像以上に立派な防風林ではありましたが、
東から西へ広がる内房の景色が、どうにかこうにか…。笑
いやいや、十分気持ちいですよね。

朝の日の出も、夕暮れの日没も、きっと絶景だと思います。
うらやましいなー。
屋上、作って良かったな。

無題

久しぶりの晴れ間。
清々しい1日になるかと思っていたけれど、ちょっと哀しいお知らせが届く。

ニュースにならないところでも、毎日どこかで、誰かが、
大切な人との別れを経験しているのだな。
50年も生きてきて、分かり切ってることなのに、
その現実に胸がキューっとなってしまって、気持ちを持っていかれてしまう。

何のために生きるのか?の問いに答えがあるならば、
先に逝く人を見送り、その人の事を覚えているため…なのかもしれないな。

*

うまく気持ちを切り替えられない時、ブログをやってたことに少し救われます。

日常会話を飛び越えて

仕事中、BGMの代わりに、アマプラMUSICで聞き流しの英会話レッスンを流していたら、
「くしゃみをしただけで腰を痛くしました」
というフレーズが出てきました。
これを英語で言えるようになったら、いつか使える機会があるのかなぁ。

意外とあるかもしれないね。笑

「あなたは自分の事しか考えていない!」
というフレーズもありました。
全体的にネガティブカンバセーション。笑

沈黙という代弁

自分の気持ちをうまく言語化できない時、言語化する勇気がない時、
自分の代わりに同じ気持ちを吐露してくれている人がいるんじゃないかと、つい探してしまう。
でも、いくら探しても見つからない時は、
その沈黙こそが、自分と同じ気持ちの代弁なのかもしれません。

喜びであれ、悲しみであれ、説明のできない気持ちであれ、
自分の気持ちの置き所というのは、だれかの言葉によって見つけられるのかな。

この数行の文章が、読んでくれた誰かに、
『同じ気持ちですよ』というメッセージになるかもしれないと思って書いてみました。

元気でいましょうね。

 

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