経験という財産

アトリエのプチリフォームをしている同業友人のお手伝いで左官仕事をしてきました。
壁の漆喰塗りのセルフビルドに挑戦です。
はじめこの話を聞いた時は、てっきり、私の得意なローラー塗りの施工だと思い込み、
ここは私の出番でしょう!と、張り切ってお手伝いを申し出たのですが、
当日の朝にコテ塗りだと聞き、ちょっと焦りました。
コテ塗り作業の経験がない訳ではないけれど、本格的に壁一面を塗るのはお互い初めて。
大丈夫なのか?私たちで…。笑

父の実家が左官屋で、左官屋の孫だというのが私の自慢なのですが、
祖父や伯父が左官屋だったからと言って、私がうまく塗れるわけでもなく…。笑
こればっかりはDNAは関係ないのです、残念ながら。
心意気だけを頼りに頑張ってみましたが、どうなのかなぁ…。笑

作業はめちゃくちゃ楽しくて、
これが自分の部屋だったら仕上がりも含めてきっと大満足なんだろうけど、
コテ塗りのセルフビルドは、安易にお施主さんに勧めない方がいいなというのが今回の学び。笑
本当に難しくて、あらためて左官職人さんのすばらしさを実感する経験でした。
この写真は塗りたてなのでかなりまだらだけど、乾いて、それなりに落ち着いているといいな。

友人は、部屋の一部を、この苔むしたような色にしたかったんだそうです。
その色を顕現させるには、ペンキでは深みが出せないと思い、塗り仕上に決めたのだと。
その選択はさすがだなーと思います。
素材の厚みって、実はとても重要なんですよね。

自分の仕事部屋を、住みながらリフォームする事にした彼女は、
施工前の片付けの大変さや、業者さんに対する気の遣い方など、自分事として経験することで、
リフォームするお施主様の気持ちをより理解できたのが一番の収穫だと話してくれました。
そんな話を聞かせてもらったことまで含めて、このお手伝いは、
いろんな意味で私にとっても貴重な経験となりました。
役に立ったかは分からないけど…、ありがとう。

お客様と業者さんの真ん中に居ますよ!

友人から、自宅で週末だけの小さなパン屋さんを始めたいと相談を受けました。
自宅を改装して、飲食店や食品の製造業の許可を取るには、
大きな問題として、事業用とは別に住居用のキッチンが必要な事と、
事業用キッチンを他の部屋から独立させなければいけないという課題が出てくるのですが、
その家はたまたま二世帯住宅でもうひとつキッチンがあり、
たまたま1階のキッチンが独立型で、すでに扉もしっかりついているという好条件。
さらに、昨年法改正があり、以前と比べて必要な設備のハードルがかなり下がったので、
最低限の工事で夢が実現できるという、ラッキーな案件なのでした。

今日から、そのキッチンの改装工事が始まりました。
元々ついていたカップボードを改造して、新たに手洗器を設置。
あとはパンを焼くための業務用オーブンの設置と、エアコンと食洗機の新設。
その他の細々な工事はあれど、1週間で工事も終わり、
来週には保健所の許可も取れる予定です。

パン屋さんとしてのオープンはもう少し先になる予定ですが、
彼女の作る天然酵母パンは本当に美味しいので、
無事にオープンしたら、こちらでもご紹介しますね!

これからますます、自宅を改装してお店を開きたい人は増えるでしょうね。
このパン屋さんは窓先販売の予定なので、特に店舗工事は発生しない為、
今回はデザインの仕事ではなく、あくまでも最低限の費用で設備を整えるための工事ですが、
そういう仕事こそ、どこに相談したらいいか分からずに動けずにいる人も多そうな気がします。
ご自身が、あるいは周りの人が、
「できることならやってみたいなー」というところで迷っていたら、
とりあえず、相談してきてほしいですね。

店舗に限らずなのですが、家の中のちょっとした困りごとなんかでも、
意外と、「こんなことは設計事務所には頼めない」と思い込んでる人が多いのですが、
設計者が動くような仕事じゃなかったとしても、信頼できる業者さんを紹介できますから、
もっともっと、気軽に相談してもらえる存在になりたいな…と、いつも思っているのです。

サブリエはこれからも、『あなたの街の暮らしのよろず相談所』を目指します。笑

低気圧にやられる

台風14号。
なんだか粘っこい台風ですね。

気圧のせいでなんとなく体調も悪いし、
家に引きこもっているのも息苦しくなり、
晴れ間を狙って散歩へ。

風の音、波立つ湖面、そして最後の力を振り絞る蝉たちの声。
気持ちのいい時間。
家の近くにこの場所があって本当に良かった。

湿り気

現場の定例打合せ。

最寄駅から現場までは徒歩15分程度。
往路はなかなかの坂道続きではありますが、歩いていてとても気持ちのいい景色が続きます。
ついこの前までは現場に着くなり汗が吹き出し、びっしょりになっていたのですが、
この一週間で本当に季節が変わりましたね。
これから竣工までの現場打合せは、気持ちのいいお散歩の時間となりそうです。

線路沿いの静かな道を歩き、川を渡り、雑木林の脇を抜け、
最後に現れるのがこの石階段。

初めてここを通った時には、こんなきれいなニホントカゲとも出会えました。

それにしても、苔というのはどうしてこんなに人の心を魅了するのでしょうね。
この現場は日野市なのですが、青梅とかあきる野とか奥多摩とか、
東京の西側には苔に覆われた本当に素敵な景色が多いんですよ。
もっと大々的に『苔の町』としてアピールすればいいのに…といつも思います。

湿度の高い空気の中にいるのはやっぱり不快なんだけど、
景色でも食べ物でも人の心でも、湿り気を感じるものが好きなのです。
嫌いなものは?と聞かれると「カサカサしたもの全般」と答えるくらい。笑

建築素材の中でも、好きなものと嫌いなものが、割とはっきりあるのですが、
その違いって何なんだろう?と考えてみると、意外と含水量だったりするのかも…
と、今これを書きながら気が付いてしまった。これは大発見かも。

*

現場日記のつもりで書き始めたのに、また違う話になってしまいました。笑
Y邸はすこぶる順調に進んでおり、心配していた建材や機器の納品遅延の影響も受けずに、
予定通り竣工を迎えられそうです。ありがたい。

高台に建つ家は、秋空の下、気持ちよさそうに我が身の完成を待っています。

暮らしの中の身体感覚

世の中がどんどん便利になって、その恩恵も十分享受しているくせに、
便利になり過ぎて人間の感覚が麻痺していくことを憂い、恐怖に近い思いを抱いている。
そう思うならまず自分が少し不便なものを選択して、
肉体的な感覚を取り戻す生活をすればいいだけなのに、
それもやらずに、便利な方へ、楽な方へと逃げてしまいがち。
受け入れることにも抗うことにも消極的な自分に悶々としながら暮らしていることが、
ここ数年感じている、自分自身の中のアンバランスさの元凶なんだろうな、と感じます。

これ、私だけじゃない気がするんですよね…。

*

たしか二十歳くらいの頃だったと記憶しているのですが、
新聞に載っていた、どこかのメーカー(だったかな?)の広告に、
『便利はうれしい 不便はたのしい』
というコピーがあって、ものすごく印象的で気に入ってしまったんですよね。
30年以上前のことだから、今に比べたらまだぜんぜんかわいい『便利さ』だったろうし、
というかむしろ、その頃の便利はすでにもう今の不便に属しそうな気もしますが、
いまだに、座右の銘と言ってもいいくらい、私の根幹にある言葉になっています。

でも。

便利になっていくことに素直に感謝しつつも、
不便を楽しむ、つまりは、自分の体の感覚を意識できるような生活を送っていきたい。
シンプルな願望だとは思うのですが、
そんな風に暮らすには、ちょっと『便利』が底なし沼になり過ぎてますよね。
今って、便利すぎることが現代人のストレスの元になってる気がするのです。

*

やはりこれももう20年近く前の事なのですが、お施主様とガスコンロを選んでいる時に、
これでもか!というくらい便利機能が満載されているコンロを選ぼうとしてる奥さんに、
「そんなもの使ってたらおバカさんになっちゃいますよ」
と言ってしまった事があるのですが(笑)、その姿勢は今も実は変わっておりません。

いろんな意味で、バランスを保つことがとても難しい時代になってしまったけれど、
『便利はうれしい 不便はたのしい』
この言葉をしかと握りしめて、それを実感してもらえる家づくりをしていきたいものです。
その提案に説得力を持たせるためにも、私自身の暮らしも見直していかねばです。
とりあえず、「めんどくさーい」という口癖を直すところからだな…。笑

父と娘

先日の夕方、ちょっと野暮用があり久しぶりに実家へ。
用を済ませ、夕飯をごちそうになって、8時頃実家を出て帰宅しました。

実家へ帰る時は車の事が多く、たまに電車で行くと、
帰る時には必ず父がタクシーを呼んでくれていたのですが、
(帰りはだいたい持たされるお土産で荷物が多くなるので、笑)
先日は、コロナの影響で台数が減っているのか、ぜんぜん電話が繋がらず、
やっと繋がっても、何時に行けるか分からないという回答だったので、
歩いて駅まで行くことにしたのです。

夜にひとりで歩いて帰ることは、確かに今までほとんど無かったのですが、
父が、心配だから途中まで送っていくと言いいだしまして。笑

大した距離ではないんですよ。ゆっくり歩いたって20分足らず。
実家の周りは住宅街なので、たしかに人通りは少ないけれど、真っ暗なわけでもなく、
5分も歩けば幹線道路に出るので、決して危ない道中ではないのです。

「いやいや、むしろ、別れた後のお父さんの方が心配になるから大丈夫だよ」と、
何度も断ったのですが、一度言い出したら引かない父。
観念して、送ってもらう事になりました。

*

父とふたりで並んで歩くなんて、いったいいつぶりなんだろう…。
84歳の父が、52歳の娘を本気で心配して夜道を一緒に歩いているというシチュエーションが、
恥ずかしいやら可笑しいやらなのですが、『あぁ…私は永遠にこの人の娘なんだな』と、
そんな当たり前のことをしみじみ感じる夜の散歩になりました。
大した会話もしなかったけれど、父と並んで歩いたこの5分間の光景は、
この先ずっと忘れられず、ことあるごとに思い出しそうな気がします。
ちょっと幸せな気分になりました。

仲のいい父娘という関係でもなかったし、
ご多分に漏れず、父の事を嫌っていた時期だってあったけど、
歳をとると、いろんなこと、特に家族にまつわる複雑な気持ちが融解していくものですね。

*

それにしても、いまだに毎日8,000歩は歩いているという父の足腰の強さには驚かされます。
下手すりゃ、私よりもスタスタ歩く。笑
見習わねば。

「いつかは世話にならなければいけなくなるかもしれないけれど、
 出来る限り迷惑かけないように頑張って元気でいるから、
 それまでは、お前たちは自分の生活に集中しなさい」
と、いつも言ってくれて、実際に、80歳を超えた両親が元気に暮らしてくれている事が、
どれだけ姉や私の救いになっているのだろう。
その言葉に甘えて、全然親孝行らしい事はできずにいるのですが、
心配かけるのも親孝行のひとつだと思うので、まだしばらくは、
甘えながら、頼りながら、頑張って生きている娘の姿を見せていければと思います。

そういえば、帰りがけにお小遣いを2,000円、父がくれました。笑
52歳…。ホントにこれでいいのか?と思わなくもない…(^^ゞ

 

予感

鋭意工事中だった富津海岸のセカンドハウスの現場。
室内の工事はほぼほぼ終了し、あとは庭先のプールを含む外構工事を残すのみとなりました。

玄関を開けて最初に目に飛び込む光景がこちら。

ホールの先には屋根の付いたバーベキューテラス。
その向こうにプールが設置され、敷地の向こうは広大な防風林。
ホール、テラスと続くリビングと天井の仕上を繋げたことで、
とても気持ちのいい奥行き感が出たように思います。
外構が完成したら、かなりかっこよくなるのではなかろうか。

設計事務所のHPなのに、全然完成写真を載せなくて、
工事中の紹介までで終わらせてしまってばかりいるのは(いや、それさえあまりないけど。笑)
いかがなものか?とは思うのですが、
家づくりって、出来上がってしまったものより、
その先のいろんな景色を予感させる途中経過こそが愉しいんだと思うんですよね。
まぁでも、途中を見せられたなら、その後の完成も見たいですよね…。笑
善処します!ちゃんとします!笑

明日で8月も終わりですね。暑い暑い夏でした。
前半はほぼ引きこもり状態で図面を描きまくっていて、その反動か、
後半は連日外出の予定で埋まってしまい、ほとんど机に座る時間も取れずに終わりました。
9月はもう少しバランスよく仕事をこなしていけるといいな…。
20年以上やっていても、ちょうどいい働き方が構築できないものです。
本気で働き方改革をしないと、サブリエさん、ブラック企業になってしまいますよ…。笑

無知の知

速読や斜め読みとは程遠い読み方しかできず、1行ずつじっくり読み進めるタイプなので、
読書家と呼べるほどの読書量ではないけれど、毎日少しの時間でも何かしらの本は読んでいる。
その程度には読書が日常に入り込んでいるはずなのに、この本の読了後、
「あぁ…久しぶりに読書をした気がする」と感じました。

『それで君の声はどこにあるんだ? -黒人神学から学んだこと』榎本空著 岩波書店

書くってこういう事なんだな、読むってこういう事なんだな、と、
そんなことまで考えさせらるすばらしい一冊でした。

日本の大学で神学を学んだ後、台湾の長栄大学、バークレイの神学校を経て、
ニューヨークのユニオン神学校へ留学し、黒人神学の第一人者である
ジェイムズ・H・コーンに学んだ著者の、言うなれば留学日記。
アメリカの黒人差別問題にもキリスト教にも全く知識の足りない私には、
特に前半第一部には、知らない言葉や出来事が次々とでてきて、いちいちつまづきます。
おそらく敢えてそうしたのでしょうが、こういう本には珍しく説明的な解説が一切ないので、
その都度、その言葉の意味を調べてみたくなるのですが、
一読目は、知らないことを知らないまま読み進めてみようと決めました。

本文中、講義での描写の中に、

 

まるで一文字でも見過ごせば大事な何かが失われしまうかのように目を見開いて、
手を振り上げ、息を大きく吸い込み、一語一語ゆっくり読み上げるコーンの声につられるように、教室はだんだんと揺れていった。

という一文があるのですが、この本自体がまさにそんな感じ。
読書中って、時々気持ちが本から離れて他の事に意識がいってしまう瞬間があり、
普段はそんなに気にならず、そのまま読み進めてしまっているのだと思うのですが、
この本は、少しでも意識が本から離れてしまっていた事に気づくと、
また戻って読み返さずにいられない。
本当に、一言一句読み落としてしまいたくないと思わされるのです。

内容については、私の乏しい語彙で感想を述べることは到底できないのですが、
何かを知るきっかけやタイミングには大きな意味があり、
知らなかったことをこの本で知れて本当に良かったと思います。
もちろんすべての物事には表と裏があるわけで、
ここに書かれている『黒人と神学』が、全てでも、たったひとつの真実でもないのですが、
そこがとてもニュートラルで、全く偏った思想として書かれていないので、
なおさらいろんなことを考えさせられます。

本書の中では、著者が育った沖縄の伊江島の歴史や、
植民地支配を経験した台湾の人々の話にも触れられています。
著者の榎本さんが、コーン先生の
『黒人以外の人間が、黒人の背負ってきた苦しみや痛みを理解するのは難しい』
と言うつぶやきを聞き、同じつぶやきを過去にも聞いてきた…という回想で語られる場面です。

読んでいる最中には、フランクルの『夜と霧』が何度も思い出されました。
この本で語られている事の本質とはずれてしまうのですが、私個人の読後の感想として、
全ての国に重い歴史があり、その歴史の積み重ねがその国の国民性、アイデンティティを
形成しているわけで、もっと言えば、人ひとりひとりに他人には背負えない荷物がある中で、
今、世の中が向かっているグローバリゼーションへの流れがとても虚無なものに思えてきます。
それって無理なんじゃないのかな…と。その流れがどんどん歪みを大きくしているような…。
飛躍しすぎかもしれないけど、最近国内で起きているいろんな事件の背景にも思いが及びます。
神とか信仰とか、そういうものと人間の関係性についても考えさせられる読書経験でした。

一読した後、これまで表面的にしか知らなかった、知ろうともしなかった、
アメリカの歴史について、少し調べ始めています。
そうすると今度は、今まで何気なく見てきた映画の中に、
この黒人差別問題が主題の作品がたくさんあったことが思い出されてきます。
その中のひとつ、『アメリカンヒストリーX』を、久しぶりに再視聴してみました。
元々大好きな映画で何度も観ていて、内容も覚えてはいたのですが、
やはり今までとは全然違う視点で観ることができました。
先に書いた『黒人以外の人間が–』はもとより、この歴史を持つアメリカという国に生きる、
白人の人たちの気持ちや価値観だって、到底私なんかに理解はできないんですよね。
見方が変わっても、救いのない物語ではあることには変わりなく、悲しいラストなのですが、
怒りや憎しみは人を幸せにしないという普遍的で骨太のメッセージがまっすぐ伝わってくる、
こちらも本当にすばらしい作品です。未見の方にはぜひお勧めします。
エドワードノートンの演技がとにかくすごい!
(この映画を過去に何度も観てきたのは、白状すると、
 単純にエドワードノートンが大好きだからなんですけどね。笑)

件の『それで君の声はどこにあるんだ?』は二読目に入りました。
何度も読み返して自分の中に沁み込ませたい、大切な一冊との出会いとなりました。
この夏一番の収穫。

好きも嫌いも分かりあえる人

現在、8月13日の14:50。
予報では台風接近中で、間もなく大雨になるらしいのですが、
にわかに信じがたいほど、外は静かです。
小さい台風らしいから、突然風雨が強まるのでしょうが、
このブログを書き終えるのと、天候の変化、どちらが早いでしょうねぇ…。笑

午前中は、工事進行中のYさん夫婦との打ち合わせ。
日程を決めた後に台風が発生したので、リスケも考えたのですが、
午前中はまだ大したことなさそうだったので、
事務所での打合せ予定を駅ビルのカフェに場所だけ変更し、決行。
大したことないどころか、行きも帰りも傘もさす事なく済みました。

このYさんご夫婦、特に奥さんと私は、
『マイノリティかもしれないけれど、どうしても譲れないデザインや機能に対する嗜好』
が、おもしろいほどよく似ていて、モノを選ぶ基準はもとより、
決定に至るまでの思考の経緯までそっくりなのです。
その部分の価値観がここまで合致する人は、友人知人を含めても初めてかもしれません。
こだわりたいところが同じであること以上に、
どうでもいいコト、いらないと思うモノが一緒というのは、本当にやりやすい。笑
なので、プラン作成から今日に至るまで、こちらからの提案を却下されたことが一度もなく、
Yさんも、自分の意向が伝わらないというジレンマを感じることなく進んでこれたようで、
打合せはいつも、本当に愉しい時間となるのです。清々しいとさえ感じます。

そんなY邸。
こちらで報告しそびれていましたが、先月末に上棟し、
お盆明けからは本格的に木工事が進みます。

見晴らしも日当たりも風通しも最高なこの現場。
ご夫婦おふたりの明るくおおらかなお人柄そのままに、
愛猫と暮らす愉しい家になることでしょう。
11月の竣工がとても楽しみです。

 

記憶の紐づけ

もう30年くらい前の事になりますが、当時勤めていた工務店では、
10時と3時に必ず休憩があり、社長の奥さんがおやつを用意してくれていました。
そのおやつに柿の種が出てくると、あるパートの事務員さんが、必ず、
「柿の種とコーヒーって合うよね」「柿の種にはコーヒーが一番合うんだよね」
と言っていたんです。もう絶対、必ず。笑

その会社を辞めて以来、そのパートさんとは一度もお会いしていないのですが、
30年経った今も、柿の種を食べるたびにその人の事を思いだすのです。

時はさらに遡り、高校時代。
友人に慢性の鼻炎に悩まされてる子がいて、常にルルの点鼻薬を持ち歩き、
休み時間のたびにシュッシュッと鼻にスプレーしていました。
その子が、「いつか私が死んでも、みんな、ルルの点鼻薬を見るたびに私を思いだしてね」
とよく言っていたんですよね。笑
彼女との付き合いは今もずっと続いていて、新たな思い出もたくさん作ってきたし、
たしかその数年後には鼻の手術をしていたので、もう点鼻薬は持っていないだろうし、
そもそも、ルルの点鼻薬が今も市販されてるのかも分からないのですが、
もしそれを見たら、瞬時に彼女の事を思いだすのはまちがいないと思います。

記憶の紐づけって本当におもしろいですよね。
何をもって自分を覚えてもらいたいか…なんて自己啓発的な本人の欲望を軽く飛び越えて、
思いもかけない物事で人の記憶に残っていくのですから。

私はどんな風にみんなの記憶に残っていくのだろうか…。
久しぶりに柿の種を食べながら、そんなことに思いを馳せる山の日。

柿の種にはコーヒーがよく合います。笑

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