あえて『無題』で

中島岳志さんの『思いがけず利他』を読み返す。

前に読んだのはそれほど前ではないし、内容はざっくりと覚えていたけれど、
なぜか、初めて読むみたいな新鮮な気持ちで読み進めていました。
前回も適当に読み流してたわけではないはずだし、
もともと、利他という言葉の概念があまり好きじゃないから、
やや斜に構えて読んでいた可能性も無きにしも非ずだけど、
今回は、書かれている言葉がしっくりと自分の中に吸収されていく感じ。
はっきりと、解像度があがっているのを感じます。

この本に限ったことではないけれど、読書のおもしろさというのは、
同じ本を何度も読み直すと、その都度、受け取るものが変わり、
それはつまり、自分が少しずつ変化していっている事に気付ける事なんじゃないかな。
今回は特にそれを感じました。
前回、私は一体何を読んでいたんだろう?という気にさえなったけど、
ここ数か月ぐるぐるといろんなことを考えて混沌としていたものが、秩序だってくれた気がして、
今読んだから分かることがあるのだろうな、と。

いつか読もうと積読状態の本がたくさんあって、それなのについ新しい本を買ってしまって、
買ってはいないけど読みたいと思っている本もたくさんあって、
生きているうちに読める本には限界もあるんだけど、
来年は、過去に読んだ本をもう一度読み返す時間も意識的に取りたいと思います。

件の本。
タイトルが『思いがけず利他』だし、もちろん利己や利他についての考察はされているんだけど、
もっと深いところで、今生きている偶然性について書かれていて、
とても雑な要約だけど、
利己とか利他とか考えてても仕方ないよというメッセージとして、今の私は受け取りました。

「名前が付いた時点でその存在は消滅する、そのものでなくなる」
と、以前何かに書かれていたのを目にしたことがあるけれど、
これ、本当にそうだなと思うのです。
人の意識や行動に名前を付けるって、とてもナンセンス。
言葉以外の伝達手段をもたない私たちは、どうしても気持ちを言葉で説明してしまうし、
言葉にして外に出さなければ、その気持ちそのものがないものになってしまうけれど、
そして、言葉にして伝えることがとても大事なことであるのも事実だけど、
もう少し、言葉に頼るのをやめてもいいんだろうなと思います。

と、思ってることを言葉を使って伝えようとしているこの矛盾。笑
まとまるわけがない。

職人の道具

リフォーム現場に、表替えを終えた畳が入りました。
今回は、打合せの段階で畳表のサンプルを用意して、
国産の井草と中国産の井草を見比べ、差額も伝えた上で国産を選んでもらったのですが、
やはり、目の柔らかさやしなやかさが違う。
畳になってしまえばそんなに分からないかもしれないけれど、表で見比べると全然違うのです。
天然自然素材故に、人工的な商品独特の均一的なきれいさがないのも、個人的には好き。
1本1本の草が均一じゃないからこそ、それを美しく仕上げるために、
とても贅沢な草取りをしている事も、今回、畳屋さんに教えてもらって初めて知りました。

特に指定しなければ、今は中国産の井草が使われるのだそう。
井草どころか、樹脂の畳もたくさん出回っているし、
そもそも、本当に和室を作る機会が減ってしまったけれど、
久しぶりに真新しい畳の匂いに包まれ、日本人のDNAが呼び覚まされました。

工務店に勤めていた頃、仕上表には必ず畳表を『備後』と指定していていました。
正直、20代前半のペーペーの小娘にはあまりよく分かっておらず、
そう書けと言われたからそのまま書いていただけなんだけど、
あの頃(30年前)に当たり前に使っていた素材と今の標準の違いを、
あらためて確認していくこともしてみたくなっています。

と、この流れで写真を載せるなら、当然畳の写真なんだけど、
畳より心奪われたのがこちら。畳屋さんの道具。

畳を敷き込む作業の時に、職人さんの6本目の指のような働きをしていていました。
かっこいいなー。

職人さんの道具へのあこがれが強いのです。
現場で、見たこともない便利そうな道具を見せてもらうと、うらやましくなっちゃって、
自分でも欲しくなって買ってしまい、そのまま一度も使うことなく仕舞われてるものも多々あり。笑
(ちなみに、今いちばん欲しいのは、バネ製造機なんですけどね。
 私の『バネ愛』を語りだしたら止まらなくなるので、この話はまたの機会に。笑)

昔、設計の師匠に、
「設計者は鉛筆が道具の職人にならなければいけない」
と言われたことがあり、職人でありたいと願う私のよりどころの言葉だったんだけど、
今となっては、そのたったひとつの道具さえ使わなくなってしまっている。
職人とか手仕事に憧れてばかりいるのは、やはり、自分の仕事の身体性の欠如なんだろうな。

手紙の代わりに

自分の知ってる言葉では表現できない気持ちがある。

10年前、『仕事とデザイン研究室』というプロジェクトの1期生として、1年間活動をしていた。
先週、その時のメンバーが急逝したという知らせを受けた。
全く意味が分からない。信じられないのではなく、意味が分からない。それが正直な気持ち。

友達とも知り合いとも違う、あえて言うなら『国分寺の仲間』。
たしか私より10歳くらい若かったはず。誕生日が私と一日違いだった。
私の稚拙な語彙で表現するならば、ヒップホップ系というのだろうか?
ラジカセを肩に担いでラップを歌っていそうな彼だった。
(あくまでもイメージ。本業は、本当に素晴らしい仕事をするやり手のデザイナー)
私の人生で交わることはないと思ってたタイプの人で、最初は話しかけるのにも緊張していた。
同じメンバーとは言えチームが違ったので、
そのプロジェクトの期間中はほとんど話をしたことがなかったけれど、
その翌年だったかな…、なぜか、ひょんなことから二人でバーで飲んだことが一度だけあった。
なんか、本当に愉しかったし嬉しかったんだよ。

その後、私のアトリエと同じ建物内で彼がお店を始めることになったり、
逆に、彼が借りていたシェアオフィスに私も入ることになったりと、
微妙に接点を持ちつつ、でも、ものすごく距離が縮まるわけでもなく、
『国分寺の仲間』という心地いい関係が続いていた。

彼には『仲間』がたくさん、もう本当にたっっっっくさん居たのです。
密なお付き合いの人はもちろん、私と同じような距離感で彼に一目置いていた人まで、
みんなが彼の『国分寺愛』を知っていて、彼が巻き起こす動きを頼もしく眺めていて、
だから、今、みんながこの大きな喪失をどう受け止めていいのか分からずにいるんじゃないかな。
多分、みんな、意味が分からないと思ってるんじゃないかな。
もう何度も経験している事なのに、人って本当に死んじゃうんだ…と、
あらためて驚かされてる感じです。

ブログに書くつもりなんてなかったんだけど、
さっき、メッセンジャーでの彼との会話を読み返してみたら、この10年の間に、
意外なほどいろんなやり取りをしていたことに少し驚いて、
初めて、この悔しい事実が輪郭をおびてしまい、
メールの続き、彼へのメッセージを打ちたくなった衝動をここに転嫁したくなりました。

最後のやり取りは、今年の2月、
彼のお店がリニューアルオープンしたのでお祝いがてらに立ち寄った日の夜。
来店のお礼と共に、「また今後も仲良くやらせていただければと!」と書かれていました。
それに対する私の返事に、ハートのスタンプが押され、「あざます!」と。それが最後。

今、送れるのならどんなメッセージを送るだろう。
彼へのメッセージだからここには書かないけど。笑
哀しいも切ないもつらいも寂しいも、ちょっと違う。この気持ちを表現する言葉を知らない。
んーーーー。もう少し、引きずりそうです。

大きな人でした。存在も、残したものも。

ちょっと揺れるのをやめてみよう

『矜持』について考える。

しなやかにたおやかに揺れながらも絶対折れない強さを持つ、
柳の木のような人になりたいと、ずっと思ってきました。
でもなんだか、しなやかでたおやかであることの方にばかり意識が向いて、
わざと風に揺れて見せることばかり考えて、なんなら折れちゃうフリとかしちゃって、
気付いたら、1本の木として、強さを鍛えることをさぼっていたんじゃないかな。
もっと正直に書くと、強さを隠すことを優しさや親しみやすさと勘違いしていたような…。
そうする事で、仕事の矜持を手放しかけてたんじゃないかな。

そんなことを考えた一日。

ポキっと折れる前に気付いて良かった。笑

学ぶ

不動産相続の事をもっと勉強したい、机上の知識ではなく実例を知りたい、
そんな話を、
仕事でいつもお世話になってる不動産屋さんに話したら、
ちょうど日曜日にコンサルティングでお会いする案件があるから、
スタッフとして同席してみる?とお誘いを頂き、池袋へ。

今後もこんな機会があるかもしれないからと、わざわざ私の名刺まで作って下さっていました。
ありがたい。

勉強になったなー。
ご相談の内容は、借地権契約にまつわるトラブルでした。
借地権の仕組み、ある程度分かってるつもりだったけど、何も分かってなかった。
一般の方たちが知らないのも当然。知らなければ、自力で問題解決なんてできなくて当然。
不動産コンサルの存在意義をしみじみと痛感しました。

不安が解消され、これからどう動けばいいかがクリアになったお客様。
安心した表情で何度もお礼をおっしゃっていたのが印象的でした。
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良心が服を着て歩いているような誠実な不動産屋さんに、
こういう機会を与えて頂けるのが本当にありがたい。
建築に関わる以上、不動産に関する知識は設計には必要ないなんて言えません。
引き出しを増やしていこうと思います。

月くらいの明るさで

昨日の第3木曜日は、調布のタイルスタイル深大寺さんのツキイチカフェへ。
タイルスタイルさんが月に一度開催しているオープンアトリエの企画の中に、
サブリエの「暮らしのよろず相談会」を加えてくれて、今年の8月から参加しています。
でも、相談会というかしこまった形ではなく、もっと気軽に、
コーヒーを飲みながらの雑談の中から、住まい手さんの暮しの中の困りごとを引き出して、
何か少しでも役に立つアドバイスができたらいいよね、というのが主旨。
まだ始まったばかりだけれど、月を追うごとに来てくれる人も増え、
これをやる意味とか必要性を実感できるようになっています。
お声掛けくださったタイルスタイルの店長さんと私の共通の思いが、
しっかりとこの場所に根付き、育ってくれることを信じて続けていきます。
遡ること、4ヶ月前。
中古マンションを購入されたUさんが、キッチンリフォームの打合せでタイルスタイルを訪れた際、
その購入したマンションの管理規約や契約の事でちょっとした困り事に直面している話を、
タイルスタイルの店長・上野さんにポロっと話されました。
相談という程のものではなかったのでしょうが、それを聞いた上野さんが、
何とかしてあげられないものだろうか…と、
これもまた相談という程の深刻なものではなかったのだけれど、私に話をしてくれたので、
それは何とかしてあげたいよね、と、私がいちばん信頼している不動産屋さんを紹介し、
アドバイザーとして中に入ってもらって、
無事に解決に導いてもらうという出来事がありました。
昨日のツキイチカフェに、その時の住まい手Uさんと不動産屋さんが、
それぞれに遊びに来てくれました。
Uさんと私は初対面、上野さんと不動産屋さんも初対面だったのですが、
しばし、あの暑かった夏の思い出話で盛り上がりました。
私も上野さんも、特に何をしたわけでもないのですが(笑)、
こちらが恐縮するくらい感謝されてしまい、若干こそばゆいものの、
上野さんと、「私達がやりたいのはこういうことなんだよねー」確認し合いました。
ポロっと話したことが、人と人の繋がりで思いがけず解決することはよくあって、
このツキイチカフェを、そういうきっかけの場所にしていきたいのです。
*
ここ数年、鬱陶しいくらい何度も書き続けていますが、
家の中、暮らしの中でちょっと困ってることや不便を感じていること、お悩み、
そういうものを、誰に相談すればいいのか分からなくてそのままにしてしまってる人達や、
昨今、詐欺まがいのリフォーム会社が横行している事に不安を感じている人達にとっての、
とりあえず安心して相談できる場所になりたいのです。
今後は、それを仕事の軸にしていきたいとさえ思っています。
その為には整えなければいけないこともたくさんあるのですが、
今は、今の私にできる範囲で、相談できる場所を増やしていきたいと考えています。

その為にも、設計やデザインとは違う勉強もしていかねばです。
もっともっと、頼もしい存在になっていきたいな。

以前の屋号「アトリエ朋」は月にちなんだ名前にしたくて付けた名前でした。
太陽のような素敵な建築家の方たちはたくさんいるけれど、
私は、暗闇の中でそっと足元を照らす月のような存在になって、
目立たないところで誰かの役に立てたらいいな…と、そんな気持ちで続けてきた仕事。
屋号は変わっても、私の原点は変わらずそこにあるのだな、と、最近つくづく思います。

バイバイ

下校途中の男子中学生3人組のそばを歩いていた。
仲が良さそうで、とても楽しそうに話していて、聞いてるだけでこちらまで愉しくなる。

それぞれが別の方向に分かれていく交差点で、「バイバーイ」と声を掛け合っているのを聞いた時、
もうずいぶん長いこと、友達との別れ際に「バイバイ」って言ってないな…と気づく。

久しぶりに、思いっきり手を振りながら笑顔で「バイバーイ!」と言って友達と別れてみたくなる。
この言葉に年齢制限はないんだろうけど、やっぱりちょっと痛々しく見えちゃうのかな?笑

『これから』の予感

午前中も午後も三鷹での仕事だったので、合間の時間を井の頭公園付近で過ごしました。

ジブリ美術館の前でバスを降り、公園や玉川上水を散歩。
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公園内のお店でひとりランチをして、池の周りを歩きながら次の打合せ現場へ。
11月とは思えぬ蒸し暑さだったけど、やっぱり自然の中を歩くのは気持ちがいい。
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山村修さんという大好きな作家さん(書評家?エッセイスト?)が生前住んでいたのが、
井の頭公園近くの玉川上水沿いの家で、エッセイにもその風景が趣深くよく登場していました。
山村さんもきっとこの辺りを散歩してたんだな…と思いを馳せながら歩くと、なおさら楽しい。
そうそう、太宰治の縁の地でもありますね。
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言わずとしれた高級住宅街なので、このあたりに住むことは叶わないけど、
そして、やっぱり今住んでる多摩湖周辺の方が私には合ってるけれど、
この辺りなら住んでもいいなぁ…と思います。(なぜいきなり上から目線なのか?笑)
公園内で犬の散歩をしているマダムたちのバッグが、みんなハイブランド品だったのが、
神様の「お前は多摩湖に居なさい」というメッセージのような気持にもなりましたが…。笑
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『自然との共存』
この先の自分の仕事のテーマになるかもな…とうすらぼんやり考えている今日この頃。
まだ記事にできていない、先月行った、小田原の江の浦測候所での体験が、
私を大きく変えようとしています。
もう少し自分の中で咀嚼し温めてから、このことはきちんと書きたいと思っています。
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記事の内容が、タイトルに全く追いついていないな。笑

霜月はじまり

今日から11月。
だというのに、家の中にいると、暑くて薄手の長袖シャツさえ着ていられません。
あと数日で暦の上では立冬だというのに、まだ半袖シャツが仕舞えない。笑
太陽のエネルギーがすごいですね。クラクラしちゃう。

昨日の夕方、駅の隣にあるコンビニに買い物に行ったら、
駅前で赤い羽根の共同募金の活動をしている人達が居たので、
先に買い物を済ませてそのお釣りを募金しようと思ったのに、
そのわずか数分の間に撤収作業に入ってしまっていて、募金できず…。笑

なんとなくそのままお財布に戻す気にもなれず、
近所の神社にお参りに行き、お賽銭とさせてもらいました。
いい事をした訳でも誰かの役にたった訳でもないけれど、気持ちはすっきりです。

今年も残り2か月となりました。
禊のような出来事が多かった2023年。
しっかり締めくくれるよう、そろそろラストスパートです。

小さな灯台になりたい

ここ最近、立て続けに、OBのお客様から、
中学生・高校生の娘さんの将来の事…建築の道に進むにはどういう進路を選ぶのが良いのか?
というご相談をお受けしました。

私みたいに志もなく、なんとなくなんとなくの選択の積み重ねでこの業界に居続けている私に、
有益なアドバイスもできる訳はないのですが、
娘さんたちが建築家になることを選択肢に入れてくれた事、
「それはやめておきなさい」とご両親が反対しないでくれている事が、とてもうれしい。

今の時代にこの業界に身を置き、これからの建築業界の行く末を想像する時、
あまり明るい未来をイメージできずに落ち込むこともあるのですが、
これからこの世界に飛び込もうとする若者たちがいるのだという当たり前の事に気付くと、
小さくてか細い光しか出せなくても、灯台になるような仕事をしなければ…と思います。

まだまだ、やるべきことはある。

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